連続レクチャー「オルタナティブ・モダン――建築の自由をひらくもの」
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レポート






●2004年 4月 26日
 講師:藤本壮介 レポーター:三浦丈典
 「前略、藤本壮介様(32)」

前略、藤本壮介様(32)
初めまして、三浦丈典(30)と申します。

内緒ですがじつは僕は今回の講演をいちばんたのしみにしていました。年はほとんど変わらないのにコンペを中心にずんずん活躍されている藤本さんが、まぶしくもあり、不思議でもあり、またほんのすこし羨ましくもあり、とにかく会って直接お話しを伺いたいと思って当日をむかえました。

その清澄(せいちょう)な語り口と、何より独特の気負いのなさのせいでしょう、会場はいつも以上に若く、柔らかい空気につつまれて、モデレーターも可愛い親戚の成長を見守るような、そんな雰囲気ですすんでいったように思います。僕も少しだけ体温が上がるのを感じました。

とはいうもののスライドが始まると、岩山をかけのぼるガゼルのように細くてしなやかな手足をくんだりほぐしたりしながら、藤本さんは実作からプロジェクト、ミースからバッハまで、ぴよんぴよんと軽やかに飛び跳ねていきます。モデレーターの質問にも、まるで別の人が設計した建物についての感想みたいに、「この場所はとても気持ちいいですよねえ‥‥」なんてとぼけるのですから、まったくつかみどころがなくて、なんだかかくれんぼを楽しんでいるようでした。

‥‥そう、かくれんぼ! 藤本さんのつくる空間は、ちょっとだけかがんだり、のぞきこんだりするだけで、ものかげに潜んだり、視界がぱあっとひろがったりする場所が散りばめられていてわくわくします。かくれんぼとかサバイバルゲームにぴったりだと感じました。りぼんやぱずるのような平面図を眺めながら、その秘訣はどこにあるのだろう、と考えていたのですが、現在建設中の階段しかない建物のスライドで、スタッフの方が35センチの隙間に頭をつっこんでいっしょうけんめいアクリル板を接着している場面を見て、僕はあることを発見しました。

近代というのは、どんな時間や空間も、ぴったり同じ大きさに切り刻んで、まるで不眠症の羊飼いみたいに1匹、2匹、3匹‥‥と数えていきました。でも藤本さんは逆に、さまざまな種類の別のものを、パッチワークのように接着剤でぺたりぺたりと貼り付けていって、最後に全体を「ひとつ」と呼ぶ作業をしているのですね。そのときは「となりあうこと」に気持ちをすごく集中させて、二軒先やそのむこう(つまりいまここから見えない場所)なんて、まるで気にしない、という開き直りがあるのだけれど、となりどうしがきちんとくっついているから、全体として不思議な調和を生み出しています。小野田さんに「フジモトマンダラ」と名づけられた古今東西さまざまな建築のイコンたちは、どこかに接着されることをまだかまだかまだかはやくはやくはやくと待ち受けているみたいです。ミースやカーンが好き、と言ってはばからない藤本さんですが、自身の活動はそれとはまったく逆のおそろしい不良児ソースケであることを僕は見抜いたのです。ふふふ。

弱い建築、部分からの建築、ふにゃふにゃ建築‥‥など、形容の仕方はたくさん教えていただきましたが、藤本さんの図面や建築にはいくら消しても消しようのない
接着跡をはっきり感じ取ることができます。それは空間の流れを感じさせると同時に、時間の流れも一緒に感じさせる、しずかなうねりのようなものなのかもしれません。単なる音の連続が音楽になるためには、となりあう音と音を結ぶ意志と記憶が必要ですが、レクチャーも終わりに近づくころには、平面図それ自体が設計のプロセスを奏でる楽譜のように見えてきました。でもその楽譜はあらかじめ楽器や演奏方法が決まっているのではなくて、その場所に訪れたひとりひとりが、すわったり、しゃがんだり、せのびしたり、走ったりしてタクトを振り回しながら、勝手気ままに自分なりの演奏を楽しむような楽譜です。

浜辺にビーチパラソルがぽつぽつと順々に立っていくように、途中までつくっては立ち止まり、考えて、またその次をつくっていくということ。模型をのぞいては修正するという繰り返しに拘泥(こうでい)することによって、藤本さんは建物のなかにたくさんのかくれ場所や待ち合わせ場所や休憩場所をつくりこんでいきます。実際に完成したあとでさえ、それでもまだ大きな模型を見て検討しているように「できてみたら実際はこういうことが起きるわけで‥‥」なんていう、そこはかとなく無責任で楽しげで前向きな姿勢を保ち続けています。− この人は経験によってのみ学ぼうとしている − なんておそろしい人なのでしょう。

こういった大がかりで刺激的な実験の積み重ねがこれからますます続いていくと思うと、僕自身楽しみでなりません。僕は三人兄妹の末っ子で、つっぱったり無茶をする兄を、その背中の陰に隠れながら、いつも楽しく不安に見てきました。粗暴で綿密な不良児ソースケを見て、なんだかその時の感覚を久しぶりに思い出しました。
草々

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