連続レクチャー「オルタナティブ・モダン――建築の自由をひらくもの」
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レポート






●2004年 3月 23日
 講師:青木淳 レポーター:三浦丈典
 「前略、青木淳様」
前略、青木淳様
まるで夢のような夜でした。
といってもそれは夢のように素晴らしい、というのは少し違って、文字通り夢を見ているような、そんな講演だったと思います。ひとつひとつが断片的で、やさしく光り輝いていて、見慣れなさと脈絡のなさが不安と心地良さをまとめて連れてくる感じ。うーん、うまく伝わるでしょうか。あたまとことばで理解する人 ― 僕を含めたほとんど大部分の人たち ― にとって、それは間違いなくある種の困惑を引き起こしました。決して不快なものではなく。

ファンタジーについてお話ししましょう。
僕の考える良いファンタジーの条件とは、現実のしがらみを離れ、自分がまるで架空の存在みたいになれること。別の人になった自分、別の世界へ行った自分、「あちら側」に行ってしまった自分。でもそれは何も大業な冒険である必要はなくて、むしろいつでも帰って来られる安心感の上にこそ成り立っていて、行ったり来たりのしやすさがすごく大切。(これがポイントです。)ふとした拍子に思わず「あちら側」に行くのですから、余計な荷物や知識は持っていけません。何かしらの前提やルールが必要だとしたら、それはもうすでに「こちら側」となってしまうのです。

今夜の青木さんは、短い時間のあいだに幾度となく小さな失踪を繰り返しているようでした。住宅、美術館、商業施設‥‥すべてが別々の世界へとこっそり繋がっていて、それを生み出す方法、つまり「あちら側」と「こちら側」を結ぶその術は、理屈や理論では決して生まれ得ない、まるでメディチ家の呪術的な洗礼のように何やら秘儀めいたものでした。司教のつくる「あちら側」では、ものの大きさやかたち、重さや輝き、ピントや時間の流れが「こちら側」とはどこかしら異なっていて、似てるんだけれどもいつもとは何かがほんのちょっとずれている、そういう不思議で美しい世界です。だからそこでは少しばかり変なことが起こってもそれはもう不思議ですらないし、「あちら側」からみた「こちら側」はむしろ「あちら側」なのではと疑い始めると、溶けてバターになってしまった虎のように一体全体訳が分からなくなってきます。ぐるぐるぐる。

司教が行ったり来たりする様子はとっても素早く軽やかで ― おそらく昔からそういう修練をされていたのでしょう ― 講演の最初のうちは付いていくのに息切れし、戸惑いました。でもそのうちに自分が少しずつ慣れていくのを感じました。それはなぜかというと、たぶん僕自身がそのメカニズムを解明することを止めようとしたからです。「装飾」や「機能」という言葉の意味を問いつめてみたいという会場の空気に対して、青木さんはそのこと自体にはあまり興味を持っていないように感じました。そこで僕ははたと気付いたのです。謎は謎のまま置いておけばいい。何でも知りたがって、明らかにしたがるのは僕の悪い癖なのです。

それよりも注目しなくちゃいけないのは、今回見せて頂いた作品はみんなてんでばらばらだけれども、「あちら側」がいつもちらちらと垣間見えて、ふと気付くともうすでに自分がその場所に入り込んでいたりする感覚が、すべてに共通しているということです。「動線体」以降、青木さんが求めて止まない「自由」とは、「あちら側」と「こちら側」を最大限スムーズに分け隔てなくフリーパスで行き来するための「自由」であって、この一貫した姿勢こそがぺらぺらな書き割りでない、上質のファンタジーを生んでいるように思います。

モダンとか、ポストモダンとか、僕にはきちんと説明することはできません。でも青木さんのもののつくりかたは、決めごとを増やしていってすっからかんの抜け殻になったり、使いみちも勝ち負けもない言葉あそびに酔狂するのではなくて、むしろ懸命に目を凝らしながら超丁寧に工芸品をつくっていく感じ。かといってそれは伝統や格式を伝えるのではなくて、自分たちの世界のすぐ裏(普段意識しないような、でもすごく近い場所、そう、まさに美術館の壁の内側!)に佇んでいるまだ見たことのない風景を覗こうとする強い強い意志に導かれています。

大きな模型を何度も作り直して延々とスタディしている様子(スタッフのみなさん、お疲れさま!)がスライドで紹介されましたが、青木さんはくる日もくる日も自分の知識をまっさらにリセットして、もっともっと動物的で直接的な感覚に訴える、ここしかない、という ― まるでやじろべえの支点のような ― ピンポイントの着地点を延々と探していますよね。それはどこまでいってもことばで説明できることではないし、むしろいちばん大切なことは、そういった作業の積み重ねからある種の規範やノウハウknow-how(仕方を知ること)を見つけないままでいること、なのでしょう。効率を考えたらあった方がいいに決まってるのに。

人から聞いたたくさんのことよりも、自分で考えたほんのわずかなこと。知っていると思うことよりも知らないままだと思い続けること。今あるものはもう二度とないということ。僕は少しだけ学んだ気がして嬉しいです。モダンからの小さな失踪、と言ったら大袈裟でしょうか。
草々
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