連続レクチャー「オルタナティブ・モダン――建築の自由をひらくもの」
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レポート






●2004年 2月 25日
 講師:伊東豊雄 レポーター:三浦丈典
 「前略、伊東豊雄様」
前略、伊東豊雄様
本日はお疲れさまでした。実は白状しますと、僕はそもそも建築家の講演というものがあまり好きではありません。うまく言えないのですが、それが濃厚でしっかりした内容であればあるほど、大きな荷物を無理矢理手渡されたように、なんだかひどく疲れてしまうのです。ましてや今日はまるでホテルのようにぴかぴかのホールに超満員の人たちが集まり、その熱気だけでくらくらする思いでした。ところがところが。恐るべきことに今夜のレクチャーは、我慢弱い僕のそういったヨコシマな思いをまったくあっさりと裏切ったのでした。ふむむ。

普通の講演会とは違って、今夜は本編の前にふたりのモデレーターによる簡単な前説がありました。これは美容院でいう「ぴしゃっぴしゃっ。お湯加減どうですか?」というあれですよね。ここで気持ちの準備ができたことが嬉しかった。そしていよいよ本編となり、最新作がこれでもかと押し寄せ、たくさんのCGムービーの完成度にも圧倒されました。見たことのないものばかりでしたから。でも一番の理由は伊東さん、実はあなた自身の温度が超絶妙な「人肌程度」だったからです。
設計者とは日々、決断を迫られる職業です。謝ったり、迷ったりすることが立場としてタブウとされていますよね。ところが今日の伊東さんはといえば、まるで春のノラ猫のようにのんびりと「今はまだ分からない」「この時失敗したのは…」「少しくらいかたちが変わっても大して問題はない」「ひとつひとつの建築の意味にはあんまり興味がない」云々、とくるではないですか。大のオジサンが胸を張って問題を無責任に先延ばししてる! こういったニュアンスはその場に居合わせないと、文章ではなかなか伝わりにくいと思いますが、子どもの頃から嫌なことはさっさとすませなさい、きちんと考えてから行動しなさい、と怒られてばかりいた僕にとって、それは馬鹿馬鹿しいほど潔い態度に思えました。来てよかったと素直に思いました。
少し難しいことを言うと、近代主義が囚われていた機能と空間の一体化という問題に対して、伊東さんは解答不能という明確な答えを勇気をもって叫んでいます。みんな薄々気付いてはいたことなのだけれど。
王様の耳はロバの耳!

今日の主題はテクトニック(かたち)とアクティビティ(うごき)というものだったようですが、伊東さんはそのどちらもこっそりと切り捨ててしまいました。行動や出来事を予測して場所をつくるのではなくて、たくさんの、いや無数の選択肢をつくっておいて、あとは使い手の気持ちに委ねるということ。うちはもりそばしかださねえよ、という頑固親父なモダニズムに対し、伊東シェフは幾種類ものトッピングや辛さをあらかじめ用意しておいて、あとはみなさんお好きに組み合わせて、という姿勢。じゃあかたちはどうなんだというと、正直言って僕は(そして多分シェフ自身も)結果として立ち現れる姿にはほとんど興味がありません。かたちのアナロジイがプラタナスだろうとホラ貝だろうとみつばのクローバーだろうと、たとえ妖艶なパンティストッキングだったとしても、そんなことはどうでもいいと思っています。世の中には力学やら数学やら解析やら、ナンカイなことがどっさりあって、それがナリユキという巨大機関車に乗って押し寄せてくるのだから、細かいところはどなたか詳しい方に、素直に謙虚に従いましょう。大切なことはただひとつ、あとで融通がきくように、力のかかり具合をこま切れに分けて、ひとつひとつの負担をなるべく少なくしておくだけです。

でもそうやって生み出された、網状のブレスやうねった柱など(小さな構造体の人たち)がたくさんひしめき合って、しかも彼らがきちんとお行儀良く整列せずに、ほんの少しずつ身をかがめ、肩の位置をずらし、となりとひそひそおしゃべりを始めることによって、結果としてできた空間は、同じ場所がひとつとない無段階グラデーションとなるんですよね。そこでやっと初めて、かたちとうごきが会釈を交わす。いくつかの作品を通じて僕にもそれが分かりました。

伊東さんの求める建築の軽さというのは重量や素材、ましてや表現なんかではなくて、「とりあえずこんなとこで今日はいってみようよ、あとはまかせたよ、ぽんぽん。」と肩をたたきながら、自分の責任や根拠をどんどん分散させて薄めていく軽さです。今日の講演を聴いて、伊東さんがこれから先、ふわふわふわふわ軽くなって、そのうち風船おじさんのようにどこか遠くへ飛んでいってしまわないか、少し不安になりました。
草々
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