ヒューストンにはアメリカ最大の港があり、NASAがあり、隣にはメキシコがある。そして都市計画がない。

そんなヒューストンに住み、東京との間を往復するモンタグ氏は、先日TNプローブでも開催されたMUTATIONS展の『The American City』のリサーチにも加わっており、グローバル・シティの現状を目の当たりにし、その変容を実感している者の一人であろう。


現代の都市は不可視であると言われている。
例えばMUTATIONS展でSanford Kwinterは、現代の都市空間を経済や社会の「付随現象」とし、「都市を物理的形態として完全に表現しきる」ことを「アーバニスト的な貧しさ」としている。「何がよくて便利で真実かを決める市場」のもと、テレビやインターネットといった情報空間の発達による都市空間の変化を語るストーリーは鮮やかである。
つまり、物理的な空間としての都市はかなり劣勢傾向にあるということだ。かつてのシミュラークル論しかりプログラム論しかり、ともかくテクノロジーと資本の発展によって都市は物理的には見えにくくなり、確かに近年のインターネットの普及とアメリカ独り勝ちによる世界の資本化は、物理的なモノとしての都市の劣勢を確固としたものにしたようでもある。

しかし、この「見えない都市」と「見える都市」の関係、つまり、社会や経済と実際の都市、情報空間と物理空間、バーチャルな都市とリアルな都市の関係は、ずいぶん前から形をかえて繰り返されてきたようにも思える。
歴史が専門ではないので正確な起源を遡ることには自信がないが、例えばかつてのコンテクスチャリズムも「見えない都市」と「見える都市」の関係と言えるだろう。アルド・ロッシが唱えた『類推的都市』は、人間の深層心理としての見えない都市の記憶を、柱や屋根などの見える建築の部材に記号として結びつけるものであった。またメタボリズムは、未来の見えない都市を現在に見える形で先取りしようというものだった。60年代末に礒崎新は、『見えない都市』と題した文章を書いているが、そこでは「外貌の価値が相対的に下落した」当時の都市空間に対して、「記号の支配する空間」としての「見えない都市」が予見されている。物理的な都市空間に対する情報空間の優位を指摘する点は、30年後のKwinter のテクストと同じくしており、どうやら都市空間は十分に「見えなく」なったようである。


さて、今回のモンタグ氏のレポートで興味深いのは、グローバル・シティ論などの昨今の「見えない都市」の議論を踏まえつつも、愚直なまでに即物的な「見える都市」のレポートに撤していることだ。

ヒューストンは、アメリカ最大の物流拠点ということもあり、そのネットワークが運河や高速道路などのインフラとして実際に見える。グローバル・シティ論では、移民や資本のフローによるネーション=ステートを逸脱する空間が指摘されるが、ヒューストンではそれが自由貿易ゾーンという具体的な場所として見える。さらにこれらのフローを追跡して辿りつく廃棄物処理場では、ヒューストンのフラットな地形に廃棄物でできた丘が実際に見え、MVRDVのゴミの山のデータ・タウンが現実のものとなっている。
要するに「見えない都市」の断片が実際に「見える都市」なのである。


世界がいかにバーチャルなフローで占められても、当たり前のことだが私たちは生身の身体を持つ以上、モノとしての物理的な都市も存在し続ける。だからこの「見えない都市」と「見える都市」の二重性は無視できないものになりつつある。最近、伊東豊雄氏が「肉体としての身体」と「現代の情報の中での身体」との「2つの身体」のギャップに言及しているのも、このことに対応するだろう。

さてそのとき、物理的な「見える都市」をつくってきた建築家やアーバニストはどうするのか。
ローテクな建築や都市を見捨てサイバー・アーキテクチャーに向かうか。失われる場所性の復権を唱えるか。どちらも真正面からでは可能性が開けそうにない。事実なのは、「見えない」情報空間は今後も発達するだろうし、かといって「見える」物理的な空間もなくなるわけではないということだ。前述のKiwinterのテクストも、筆者にとって興味深いのは、情報空間の優位を説く一方で、テレビの普及とニュータウン居住の関連を指摘し、デジタル・デバイドと近年のゲーテッド・コミュニティを関係づけるなど、物理的な空間との相互関係を抽出している点にある。
多くの衝撃を与えた9.11 のN.Y.での出来事は、都市が情報空間の優位では語りきれない物理的なモノであることを思い起こさせた。5万人の人々が日々過ごしていたワールド・トレード・センターは、ひとつの都市として物理的に成立していたのであり、またそれが「見える」モノであったために標的となった。ここで「見える都市」の脆弱さを言ってもしかたがないだろう。人間が生身の身体をもつかぎり、モノとしての建築や都市につきあっていく訳だから。建築や都市はローテクだからこそ「見えない都市」が対応しきれない人間の生身の身体に対応してもいるのである。
このシリーズは、そのような「見える都市」の断片をその形式(アーバン・フォーム)として捉え、再組織する糸口を見いだそうとしているところである。




profile

安森亮雄(Akio Yasumori)
1972年生まれ。建築家・都市研究(都市の空地の空間構成)
1996年、チーム・メイド・イン・トーキョー参加
1998-99年、ベルラーヘ・インスティテュート(オランダ)
2002年、東京工業大学大学院博士課程 単位取得退学
現在、東京工業大学大学 技術補佐員

主な作品に
「Tokyo Suburb Void Map」,「LA Surface Urbanist's Catalogue&Tutorial」(『10+1』No.24, 『Hunch』No.1)、
「Sport-Voids Home」(新建築住宅設計競技2001・佳作、『新建築』0112,『JA』No.44)、
「森の戸建集合住宅」(播磨科学公園都市・戸建住宅コンペティション・最優秀賞、『新建築』9708)、
「距離を彫る家」(第六回エスバイエル住宅設計コンペティション・妹島和世賞、『新建築』9607)など。


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