“支流の都市”ヒューストン モノを思い浮かべて
ジョン・モンタグ (訳:安森亮雄)


グローバル・シティの成長=「モノ」のグローバリゼーション

1950年以来、世界の貿易はグローバル・エコノミー全体の成長の2倍のスピードで増加してきた。

1999年には世界経済の失速にも関わらず世界の輸出高は6兆8,200億円に達し、現在でも年間5%から10%の割合で増加している。事実、貿易の増加は実際の生産高の成長を超えている。こういった資本のグローバルな流れに対するリンクによって、東京、ニューヨーク、ロンドンはいわゆる「グローバル・シティ」と定義され、(その他のいくつかの都市とともに)資本と情報のグローバル・ネットワークにおけるノードに位置してきた。

こうした流行の分析にはそれなりのメリットがある(特に、これらの都市が伝統的なネーション=ステートのヒエラルキーとは独立したネットワークのノードに位置しているという点で)。しかしネットワーク自体の基本的な側面を覆い隠すことにもなっている。それはこれらのフローの全てがドルであろうとビットと言われるものであろうと、「モノ」の表象であるということである。私たちは、東京、ニューヨーク、ロンドンの間を飛び交う、信じられないほど大規模で複雑なマネーのネットワークに目を奪われている。しかしこのマネーは、ラスベガスのポーカーゲームのチップのようなもの、つまりモノの代理にすぎないのである。世界の輸出高の1兆3,500ドルは商品でなくサービスであるが、究極的にはモノに結びつけられる。弁護士たちはモノとしての商品を製造している会社の代理を務め、保険会社はモノとしての輸送商品のリスクを緩和しているのである。

このエッセイではヒューストンを例にして「モノ」としてのネットワークの性格を明らかにし、この性格がすべてのグローバル・シティに共有される特徴であることを提示ようと思う。


2重のインフラストラクチャー・ネットワーク
ヒューストン(図1図2)には、メキシコ湾へと流れる雨水のネットワークにちなんだ「支流の都市」というニックネームがある。これらの支流はテキサス内陸部から港湾へ商品(モノ)を輸送する最初の手段であった。なかでもバッファロー川は掘削され船舶の通行可能な運河となっており、支流のシステムの重要な一端を担っている(図3)。

これらの支流は、ヒューストンのより強力なメタファーである構築物 <3,000マイルのフリーウェイのネットワーク> の下や間を流れている。フリーウェイのネットワークは、市の中心部から放射状に広がり3つの同心円をなしている。70年代の「610ループ」、90年代の「ベルトウェイ8」、そしてまだ建設中の「グランド・パークウェイ」である。毎日360万人のドライバーがこのフリーウェイのネットワークを使い、延べ7,000万マイルを移動している。1日あたり32万台の車が「US59」と「610ループ」をつなぐインターチェンジ(アメリカで最も交通量が多い)を通過し、6万時間がそこでの渋滞に費やされている。

前述した支流と同じように、高速道路はモノ(人と生産物)の運搬のためのネットワークである。このようにヒューストンのネットワークは、物理的にもメタファーとしても2重になっているのである。つまり、物理的には支流と高速道路はオーバーレイされ、これらは視覚的なネットワークであるとともに生産物のローカルかつグローバルな輸送ネットワークも支えている。このインフラストラクチャーと国際貿易の2重のレイヤーを考慮すれば、フリーウェイはヒューストン随一のモニュメントと言うこともできるだろう。


モノのゲートウェイ
ヒューストンの混雑したフリーウェイには、メキシコとの北アメリカ自由貿易協定(NAFTA)によって、さらに年間300万台のトラックが増加する見込みである。メキシコからトラックで輸送されないものは、ボートに乗ってやってくる。メキシコはヒューストン港最大の貿易相手である。港は25マイルにわたるヒューストン運河に沿って位置し、ヒューストンの存在意義そのものである(図4)。1800年代のヒューストン港は、テキサスの富であった農産物を東海岸へと送り出すルートを提供した。1900年代、東テキサスでの油田発見にともなって、ヒューストン港は掘削機械を降ろし原油を積み込む基地となった。

港は(シーポートもエアポートも)、全面的にモノの移動に貢献するものとして興味深い。しかし、私たちがモノの量を理解できる唯一の手段は、「ドル」や「トン」という抽象化を通してである。現在、ヒューストン港は150億ドルの石油化学コンビナートを擁し、アメリカ国内最大、世界第2位の規模である。ヒューストン港全体では輸出入トン数でアメリカ国内第1位、世界8位にランクしている。100以上の航路がヒューストンと世界中の200港とのサービスを提供しており、1998年には7,000隻の船が1億780万トンの積荷を運び363億万ドルがヒューストン港を通過した計算になる。

ヒューストン港には32の自由貿易ゾーン(FTZ)がある。ここには巨大な倉庫が建ち並び、関税なしで商品の入荷、貯蔵、加工、再包装、再出荷が可能なエリアとなっている。自由貿易ゾーンはアメリカ政府の管轄外にある一方でヒューストンの内部にあり、特別な領域性をもった土地となっている。ここには、液体タンク、倉庫スペース、インダストリアル・パーク、貯蔵サイロがあり、ヒューストンの多岐にわたる製造業のすべての面にサービスを提供している。このようにして生産物は自由貿易ゾーンの間を移動し、なおかつアメリカの「外部」に位置することができるのであり、自由貿易ゾーンはグローバルな貿易ネットワークのノードを表象している。ここでは再び、抽象(グローバルな貿易ネットワーク)とモノ(生産物)との2重のネットワークが生じているのである。


モノの遺産
マネーは「クリーン」である。国から国へと汚染なしに移動する。生産物も(普通は)「クリーン」である。しかし汚染物質を残す。現在のヒューストンは生産の遺産によって、アメリカ国内最悪の光化学スモッグ発生率にある。石油精製所は地域の大気基準を満たせない場合、周囲のすべての土地を買い上げている(図6)。ヒューストンは自らをゆっくりとゴミの下に埋葬しているのである(図8)。

ヒューストンに2か所ある埋立地では毎年200万トンの固形廃棄物が処理され、本来はフラットな地形に廃棄物の山が築かれている(図910)。11ある有毒物処理場は連邦政府による浄化に向けて待機しており、そのうち2、3の処理場は石油化学産業の副産物である汚染物質と関係している。しかし残りの多くの処理場ではそれほど明確な関連は指摘されていない。66エーカーあるS.Cavalcade木材処理プラントでは、1910年から1962年にかけて流出した防腐用クレオソートによって土壌が汚染され、近隣の4,200人の上水道が脅威にさらされた。政府は最も汚染のひどかった7,000立方ヤードの土壌を撤去し、隣の土地へと移動した。汚染が深刻すぎて遠くまで運べなかったのである。現在この土は厚いブルーシートで覆われ、科学的な処理方法が開発されるまで放置されている。残りの汚染土は分厚いコンクリートのフタで覆われ、トラック倉庫の搬入路となった。この倉庫につまった商品が船を経由すれば、私たちのリビングルームを目指すことになる(図1112)。


まとめ
汚染物質は通常、モノをつくる過程における副産物(例えば、金の精製過程で必要な水銀)、あるいはサービスを提供する過程における副産物(例えば、ドライ・クリーニングで必要なトルエン)である。これは、「モノ」が消えた後で残る影のようなものであり、都市に残る廃棄物を見ればその都市におけるモノ(生産物)の歴史をトレースすることができる。このように埋葬された汚染物は、さまざまな形をとって近代の都市を定義するモノのネットワークの一部をなす。したがってこれはヒューストンに限った話ではなく、工業時代の過去をもつどんな大都市にも共通することなのである。ニューヨーク、シカゴ、東京、台北、ロンドン、ベルリン、これらの都市に共通するストーリーである。こうしたモノのネットワーク−モノのネットワークとその影としての廃棄物−は都市を定義し、住む人々に都市を浮かび上がらせる。

建築家やアーバニストが扱うのは、資本のグローバルなフローではなく、究極的にはこれらのフローによって表象されるモノとその影である。だとすればこれは建築家が克服しなければならないストラクチャーの一部であり、建築家が用いるパレットの一部でさえあるのである。



profile

ジョン・モンタグ
ライス大学大学院生、Merriman Holt Architects勤務。
2000年より文部省奨学生として東京工業大学に留学。
MUTATIONS展においてSanford KwinterによるThe American Cityのリサーチのサポート。

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