2001年に筆者は、マレーシアのクアラルンプールとシンガポールを訪れた。いずれも高層ビルが建ちならぶ近代的な都市であり、郊外にはポストモダンのマンションが続く。これだけなら、世界各地で増えつつあるジェネリック・シティ(無印都市)でしかない。だが、その一方で、多民族が共存しており、チャイナ・タウンやリトル・インディアがあったり、イスラム教のモスク、仏教、ヒンズー教、シーク教の寺院などの宗教施設があちこちに建っている。とりわけ、シンガポールはほとんどの人が団地に住む団地国家なのだが、電車MRTにのって、郊外に行くと、高層マンション、ショッピングセンター、小中学校などのあいだに巨大なモスクやヒンズー教の寺院が見つけることができる。日本では考えられないようなニュータウンの風景が、ごく自然に存在しているのだ。いや、彼らから見れば、団地と宗教施設が完全に切り離されていることの方が変なのかもしれない。

 また植民地時代に建設された西洋の様式建築も多く残っている。やがて開発により消えてしまうかもしれないが、少なくともシンガポールはこうした文化的な遺産を残そうと考えているようだ。マレーシアとシンガポールには、何重ものレイヤーがある。80年代の後半に、ポップ・スターのデック・リーがシンガポールから登場したのも、うなづけよう。彼は西洋と東洋の音楽を折衷させながら、自分のアイデンティティをバナナにたとえていた。外見は黄色いアジア人だが、中身は白い西洋人に近いからである。筆者は、ただの旅人としてまわったに過ぎないが、今回、葛西玲子さんが原稿で指摘しているモザイク状の多元的な文化の雰囲気は強く感じた。もちろん、多様なアイデンティティは相互の摩擦をもたらし、過去に悲劇を起こしている。両国家ともに強力なリーダーシップをもった指導者が必要とされたのは偶然ではないだろう。

 クアラルンプールの建築にもアイデンティティの探究は刻印されている。国立博物館(1963)は、近代的なコンクリート造だが、屋根は伝統的な木造建築を模倣し、地域色の強い装飾を使う。当初の計画は西洋的なデザインだったが、首相が拒否し、現在の姿に変更させている。実際、これは戦後のマレーシアの独立を象徴する建物だった。また国立モスク(1956)も、イスラム教の幾何学的な形態を近代建築と巧みに融合している。アメリカ人のシーザー・ペリが設計したペトロナス・タワー(1997)も、ローカルとグローバルを同時に表現した。最新の技術を用いた未来的な外観だが、マレーシアの文化を形成するイスラム教や仏教の建築からヒントを得ている。先細りの輪郭はペナンの極楽寺の七層の塔を、幾何学的なパターンはイスラム建築を参照した。またペリによれば、空中のブリッジは老子の思想に影響されたものであり、中国の文化にも配慮している。

 ところで、最近、森達也監督のドキュメント映画「A2」(2002年3月公開)を見る機会を得た。この映画は他者としての隣人オウムと地域住民の紛争を記録したものだが、マスメディアが紹介しない、様々な「人間」が登場する。条件反射的にオウムを憎む住民、やがて打ちとけていく住民、悩むオウム、信仰に揺らぎがないオウム、オウムを批判する右翼、オウムへの理解も示す右翼などなど。マスメディアが、これらの差異をすべて塗りつぶしながら、正義の住民対悪者のオウムの構図だけを強調し、当事者もそのイデオロギーに洗脳されかねない社会に対して、森はイデオロギーをはぎとって「人間」を出現させる。そしてサブタイトルの「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」という認識に至る。

 言うまでもなく、それは2001年9月11日以降に起きている世界の単純な二分化への批判的なメッセージでもある。われわれ側につくか、それともテロリストの側につくか、というブッシュ大統領の声明は、多様だったはずのアメリカの内部を一色で塗りつぶしたばかりではなく、他の国にもそれを強制した。日本もサリン事件以降、他者への寛容さを急速に失いつつある。しかし、こんなご時勢だからこそ、マレーシアやシンガポールの現実は大きな意味をもっているのではないか。


profile

五十嵐太郎(Taro Igarashi)
1967年パリ生まれ。東京大学工学系大学院修了。博士(工学)。中部大学 工学部建築学科 講師。東京大学、東京芸術大学、日本女子大学、明治学院大学、大阪芸術大学、芝浦工業大学/非常勤講師。著書に『終わりの建築/始まりの(講談社)、 『近代の神々と建築』 (広済堂出版)。編著に『READINGS: 1建築の書物/都市の書 物』、『20世紀建築研究?INAX出版)、共著に『磯崎新の建築談義』(六耀社)な ど。ギャラリー・間「空間から状況へ」展を監修。『日経アーキテクチュア』にて連 載中。ウェブサイト「cybermetric」で活動の軌跡を公開している。
URL=http://www.cybermetric.org/

<その他、連載中のウェブサイト>
10+1ウェブサイト「五十嵐太郎 Photo Archives」
URL=http://tenplusone.inax.co.jp/
online bookstore bk1 「サイエンス/テクノロジーサイト・建築」
URL=http://www.bk1.co.jp/


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