


19世紀のエジプトのブルカ。目の上から足首まで垂れる白いモスリンの布。
ダルブルアスファルにあるスハイミー邸の室内側から見たマシュラビーヤ。建設は1648年及び1796年。
スハイミー邸の中庭側から見たマシュラビーヤ。
モスクのミナレットから見たカイロの歴史地区の風景。
左側の2階部分で街路に突き出している窓がマシュラビーヤになっている。突き当たりに見えるのはカトフダーのサビールクッターブで、建設は1744年。サビールとは公共の水飲み場のことで、その上階にクッターブと呼ばれるコーラン学校がある。
地下鉄の女性専用車両の内部。
庶民的な地区の狭い街路を人が行き交う。露店を出す人もいる。
道路脇で、世間話や情報交換をするバッワーブたち。
住宅街のあるビルのバッワーバ一家。緑色の扉の中が彼らの住まい。
Fig.9のビルの右隣。ビルの脇の空間がバッワーバの生活空間となっている。このビルのバッワーバは、隣のビルのバッワーバの親戚。
Fig.9の建物の左隣の敷地で、更地を管理しているバッワーバ。後ろに見えるのが彼女の住まい。
ラマダン明けの礼拝風景。スポーツクラブのグラウンドにて。
「ブルカと女性とイスラーム」
城戸美和
アフガニスタンで北部同盟がカブールを制圧した時、日本の新聞の多くが、ブルカを着た女性たちの中央でブルカをたくし上げて顔を出している一人の女性の写真を一面に載せた。その後、テレビもこぞって、ブルカを脱がそうと躍起になり、NHKの「何故ブルカを脱がないのか」という番組では、タリバーン支配時代のトラウマだと結論づけようとしていた。こうした報道の根底には、「ブルカ(あるいはベール)が女性抑圧の象徴であり、ブルカを脱ぐことがアフガニスタンの女性の解放につながる」という日本(あるいは西欧)のメディアの共通認識がある。一方で、それは「イスラームにおける女性差別」という大いなる偏見につながっている。少なくとも、私の知るかぎりイスラームに女性蔑視の考え方はない。ベールにまつわる議論も昔からさまざまあるが、それが信仰によるものであれ、習慣によるものであれ、制度によるものであれ、それぞれ時代に応じた意味を持っているのである。日本も含めた非イスラーム社会のメディアが見せたブルカを脱がすことへの執着は、誤解に基づく一方的な価値観の押し付けに過ぎない。ブルカを着ている若い女性に「ミニスカートをはきたいですか?」となんとも愚かな質問をした日本人記者がいた。下着同然の格好をして街を闊歩することが女性の解放でないことなど、とうの昔に誰もが気づいているはずなのに。
ベール着用によって受ける社会的不利
タリバーン政権崩壊後発足したアフガニスタン暫定行政機構では、女性公務員のブルカ着用を禁止する方向だという(その後の展開は把握していない)。「ブルカ着用を義務付けた」タリバーンを非難した国際社会が、「ブルカを着用している女性が受ける社会的不利」に思いをはせないのは何故だろう。「ベールを着用することによって、就職などで受ける社会的不利」というのは、事実、他の国にも存在する。10年ほど前にも、フランスの高校で、ベールをつけることが禁止され、騒ぎになったことがあった。イスラム教徒が90%を占めるエジプトにおいても同様である。外資系企業を中心に、特に待遇のよい民間企業にこうした差別が存在するようだ。カイロ大学では、ニカーブ(目以外の部分を布で隠す)の着用が禁止されている。しかし、そうした不利にもかかわらず、このところ、自らベールをつけることを選択する女性は、カイロに限ってみてもずいぶん増えている。
イスラームでは、このベールのことを「ヒジャーブ(覆うもの)」という。私のエジプト人の知人の女性は、「私は、職の代わりに、ヒジャーブを手に入れたのよ」と笑って話してくれた。ある時、彼女は会社の就職面接を受けに行ったそうだ。彼女はその会社がヒジャーブをつけていない女性を求めていることを知っていた。ところが、その面接にあたって、当時はまだヒジャーブをつけていなかった彼女は、ヒジャーブをつけたいという欲求に駆られ、その旨を告げたのだ。結局彼女は就職試験には落ちたが、おかげでヒジャーブをつけるようになったという話だった。
エジプトにもあったブルカ
ブルカに話を戻そう。私は、ブルカというのは、アフガニスタンの女性の外出着をさして使う言葉だと思っていた。ところが、同じブルカという名前のものが19世紀のエジプトにもあった。20世紀の中ごろまで、女性が外出する際には必ずつけていたものだという。エジプトでいうブルカ(ブルクゥア)は、女性の鼻の上あたりから足下まで垂らした布で、1836年に出版されたE.W.LANEのManners
and Customs of the Modern Egyptians にも描かれている(fig.1)。だが、今はほとんど見られない。現在のカイロで目にするヒジャーブには、髪の毛と首の部分を隠すようにまくスカーフ(素材やデザイン、大きさ、まき方に、かなり流行り廃りがある)、腰のあたりまで隠れるヒマール、前述した目以外を布で覆うニカーブなどがある。同じエジプトでも、シーワオアシスでは、外出の際に、日本のかすりに似たブルーグレーの大きな一枚布を頭からかぶる。ベールの構造や素材も、国や地方、個人によってさまざまである。
ブルカとマシュラビーヤ
初めてアフガニスタンのブルカを見た時、その機能性と美しさに感心した。まずは色と形の美しさ。外出するときは下に何を着ていようがすぽっとかぶればよいという着やすさ(気安さ)。前をたくし上げて顔を出すと光沢のある裏地が表に出てヒマールのようにもなり、状況に応じて隠す部分を段階的に調整できること。顔の部分の布が網状になっていて、外からは顔が見られないが内側からは外が見えることなど。なんとうまくできているのだろうと思ったのである。そして、カイロの建築で伝統的に使われてきた「マシュラビーヤ」(fig.2、fig.3)と共通する構造だと思い当たった。
「マシュラビーヤ」とは、ロクロでひいた細い木製の棒を縦横斜めに組み合わせてつくった格子窓のことである。出窓になっているものも多く、装飾的にも非常に美しい。そのため、カイロの歴史地区(fig.4)の景観を構成する重要な要素になっている(fig.5)。小さな格子から室内に入ってくる光は柔らかく繊細である。外から中は見えないが、中からは外が見えるこの窓は、内部と外部をゆるやかにつないでいる。人々は、この窓から、街路の人の往来をのぞいたり、かごをつけたヒモを垂らして買い物をしたりしていたようである。最近の建物では、マシュラビーヤ自体はあまり見られなくなったが、もっと安価で簡単な構造の、シィーシといわれるヴェネティアン・ブラインドがよく使われている。カイロの気候にもあっており、実際の生活においても機能的である。
ヒジャーブをつけ始めた女性がよく口にするのは、「守られている」という言葉だ。それは神に守られているという意味ももちろんあるが、精神的にだけではなく物理的にもひとつの膜を持つということである。いわば自分と外部の間に一種の緩衝地帯ができるのだ。イスラームの都市や建築は、こうした緩衝空間をつくるのに長けている。「ヒジャーブ」という言葉自体、「覆う」あるいは「隠す」という意のhajabaの派生語だが、ベールだけではなく、空間的なパーティションなどの意にも使われる。
女性専用空間
マシュラビーヤの内側の世界から連想されるような女性専用の空間というのは、一度経験してみると、結構快適であることが分かる。日本でも京王線や一部のJRで、酔っ払いと痴漢撃退のために「女性専用車両」が登場したが、カイロの地下鉄には以前からある(fig.6)。時間帯によって、1両の時と2両の時がある。カイロには女性公務員が非常に多いため、公務員の帰宅時間にはかなり混雑することもあるが、それでも他の車両に比べれば比較的すいているし、何より安心だ。ちなみに、チケット売り場も、慣例として女性は男性と別の列を作ってもいいことになっていて、男性が長蛇の列をつくっている傍らで女性は並ぶことなくすぐにチケットが買えたりもする。最近では、女性専用バスを望む声も高まっているようだ。女性専用といえば、美容院にはヒジャーブをつけた人のためにカーテンや扉で仕切られた場所がある。スポーツクラブのプールには女性専用の日もある。女医を見つけるのもさほど難しいことではない。とはいっても、モスクに付属するトイレが男女共同だったりして不快な思いをすることもあり、現実はまだまだ女性にとって快適な場や空間が十分実現されているとは言いがたい。更なる整備が望まれるところだ。
おもしろいのは、こうした傾向を女性蔑視だと非難する人はいないということだ。現実の社会は男性中心に作られていて、それは都市や建築についても同じことである。それをひとたび女性と男性の双方にとってより快適な空間とは何かと考えた時に、必然的に女性専用空間の必要性が現実味を帯びてくる。
女性専用空間については、このところ、日本でも話題になっている。女性専用の病院や女性専用外来、ワンフロアーを女性専用としたデパート。他にも、居酒屋、はたまたお墓などにも女性専用があるという。また、ある女子大では、守衛が全員女性で、男性の入構には厳しいチェックを入れていた。
バッワーブという職業
女性の守衛というのは、カイロにも多い。カイロの良好な治安を支えているもののひとつに、「バッワーブ」(門番)という職業がある。街路が比較的狭く住宅が密集しているような庶民的な地区(fig.7)では、窓やバルコニーからの住民の視線によって、異質なものの侵入がチェックされるが、中流以上の階層や外国人の多く住む地区では、たいていのビルにバッワーブがいる。住宅街(中層集合住宅が一般的)においては、建物の玄関近くにある部屋やガレージに、バッワーブが家族で住んでいることが多い。また、都心の大きなビルでは、複数のバッワーブが24時間交代で勤務している。彼らの監視の目があることで、人の出入りはおのずとチェックされる。バッワーブの役割は単なるセキュリティーということにとどまらず、もっとフレキシブルだ。買い物などのちょっとした用事は彼らに頼めばやってくれるし、住人の間の苦情の仲介に入ったりもする。バッワーブ同士が情報交換をやっているので、賃貸住宅を探す際にも、彼らに聞けば最新の情報が得られるという具合だ(fig.8)。いわば、彼らは「なんでも屋」である。そして、彼らの間には「ゆるやかなネットワーク」があり、都市を機能させる上で重要な存在である。
住宅街のバッワーブには女性も多い。何がしかの理由で家族を養わなくてはならなくなった女性たちにとって、バッワーバ(バッワーブの女性形)という仕事は、住居と仕事の両方を一度に手にいれることになる(fig.9,fig.10,fig.11)。彼女たちは、ほとんどの場合、誰かのクチコミでやってくる。地縁・血縁でつながっているケースが多い。バッワーブにはエジプトやヌビア出身の人が多いが、隣のビルのバッワーブが叔父さんで、その向こうのビルのバッワ−ブが妹だなんていうケースも多々ある。彼らの住居となっている「管理人室」から、子供たちは学校に通い、親の仕事を手伝う。住人にとっても、バッワーブは非常に便利な存在である。共有空間の管理をし、泥棒の侵入防止に一役買うだけではなく、ビルの住人それぞれが、必要に応じてさまざまな仕事を頼むことができるからだ。
インシャーアッラー
カイロに住んでいる外国人を見ていると、長く住んでいるからその国のことが理解できるということでは決してないのだとつくづく感じる。9月11日以降の「ブルカ」や「イスラーム」をめぐる言説からも、同様の印象を持った。少なくとも、ひとつだけ言えるのは、西欧に流布する価値観や世界観とは異なる考え方が存在することを認めなくてはならないということだ(fig.12)。
私自身も、「インシャーアッラー(神がお望みなら)」という言葉の真意を実感するまでずいぶんかかった。バスに乗って「このバスはピラミッドに行きますか?」と尋ねると、そのバスがピラミッド行きにもかかわらず、「インシャーアッラー」という答えが返ってくる。日本人なら「そうですよ」と答えるところだが、そのバスがピラミッドに無事到着できるかどうかは、本当のところ、神以外は誰も知らないのである。事実、途中でパンクしたり故障したりして、終点までたどりつけないこともよくある。「インシャーアッラー」とは、日本のガイドブックに書かれているような責任放棄の発言ではなく、人間の力を過信しない謙虚さのあらわれなのである。イスラームでは未来のことを語るとき必ず「インシャーアッラー」をつけなければならない。でも、そんなことさえもなかなか理解されないのが現実だ。
ヒジャーブや女性専用の場所をめぐる話にしても同じであろう。重要なのは、異なる価値観の存在を認めた上で、色眼鏡をはずして、他者をとらえる視線を持つことではないだろうか。
追記
ビンラーディンに関する報道で一躍有名になったカタールの衛星テレビ、アルジャジーラ放送が、日本でも24時間視聴できるようになった。おかげで、イスラエル軍の攻撃によって毎日のように死傷するパレスティナの人々の声がリアルタイムで伝わってくる。1月には、ひとりの女性がイスラエルに対して抵抗の自爆(私にはこれを安易にテロとは呼べない)を行った。赤新月社で日々救急医療にあたっていた女医さんであった。その後も、何人かの女性が自爆している。パレスティナで繰り広げられているあまりに悲しい女性たちの闘いに、同じ女性として心を痛める日々である。
profile
城戸美和 (Kido Miwa)
奈良女子大学、清水建設建築設計部を経て、東京大学大学院工学研究科建築学専攻博士過程修了。エジプトとの関わりは、1984年に旅行でカイロを訪れたのがはじまりで、1990年に再訪。博士過程在学中の1993年からカイロに留学。その後は、カイロと日本を行ったり来たりの日々である。現在、東京家政大学非常勤講師。
研究テーマとしては、修士論文で、西欧中世のキリスト教修道院の空間構成と意味を取り上げた。現在、中世マムルーク朝カイロのマドラサの空間構成に関する博士論文を準備中。一貫して「人が集まって住む」ことに関心を持っている。
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