「750日目の噂 イスタンブル」
青木 美由紀

ひとの噂も七十五日、というけれど、750日以上経ったいま、ニューヨークに話題をさらわれ、地震がイスタンブルの話題になることは、稀だ。大きな被害にあったのはイスタンブル市内ではなく、マルマラ海を挟んで南岸のヤロヴァ、チナルジュック、アダパザルなどの地域だったせいもある。(イスタンブル周辺図参照:図12)被災地のひとつヤロヴァの中心地などに行くと、地割れしていた道路などきれいに整備され、花が植えられ、人々の顔も明るい。けれど、いまだに仮設住宅で生活する人々はいるし、再建のめどのないまま放置されている全潰の建物も目立つ。
地震後のマルマラ海南岸一帯が抱える問題は、権利の合意や経済援助だけではない。大都市の周辺に許可なくつくられた住宅(トルコ語でゲジェコンドゥ)に住んでいたひとびとにとって、事情はもっと複雑になる。彼らにとっては仮設住宅が、はじめて与えられた合法的な家なのだ。もともと他に家をもつ余裕のない家族は、「自邸」の前にトウモロコシを植え、羊を飼ったりして、なかなか根を張っている。
二週間ほど前、市営住宅の完成を機に、イズミット市が、仮設住宅で生活する人々から日本円にして二千円ほどの家賃を取りはじめる、との新聞記事が出ていた。婉曲的な追い出し措置だ。現在仮設住宅のある土地は、もともと地震後に急遽借り入れられたもので、借料は市が賄っている。市当局も苦しい。
地震の直後は気づかれなかったが、イスタンブル市内でもあちこちに大小の被害のあることが、じつはあとになって見つかってきた。ミナレットやドームに亀裂がはいったモスクなど、歴史的建造物や文化遺産もあるが、問題は住宅だ。
地震がトルコ経済に投げかけた余波は大きい。有名な文化遺産の修復にはすぐにスポンサーが付くが、個人の住宅はむずかしい。全潰あるいは住めないほどの破壊のあとがないかぎり、公的な援助を期待するのは不可能にちかい。神戸でも、震災後のマンションの建て替えや補修が難航した話は知られているが、アパートの分譲所有が一般的なイスタンブルでも、事情は似ている。ことに、イスタンブルで急激に人口が増加した1960-70年代に建てられた、構造的に劣悪な建物では、浸食と地震の加わった複合的な被害がみられる。これらは、直接的には地震の被害とみなされず、次に地震がないかぎり現実の生活は続けられるので、改修までにはなかなかいたらない。しかし危険だ。(図8


「統一」アパートの人々

と、まるでひとごとのように書いているが、じつは我が家がそのケースである。そこで、波瀾万丈の改修顛末(まだ「末」にはいたらないが)をご紹介しよう。
ビルリック(トルコ語で「統一」!)・アパートは、世帯数五戸のちいさなアパートだ。イスタンブルのアジア側の地区、クズグンジュックにある。ボスフォラス海峡を織りなす山襞の合間に位置するクズグンジュックには、オスマン朝からの多民族共存の伝統を象徴するかのように、モスク、アルメニア教会、シナゴーグ、ギリシア正教会のすべてが、半径200mの範囲に揃っている。(図34)当然、建築的特徴もゆたかで、1970年代から歴史的保存地区に指定されている。(図5図6
もともとクズグンジュックはユダヤ人が多く居住した地区だが、ルーム(ギリシア正教徒)やアルメニア人(グレゴリアン、カトリックふくめて)など、非ムスリムの人々も多かった。共和国になってから住民はムスリムがほとんどだが、なごやかな多民族共存の面影をこのんで住み着く、詩人や画家、インテリ層も多い。
アパートは切り立った崖の斜面に建つ壁構造の三階建てで、1960年代のもの。崖の上の道路からの入り口は直接、アパートの二階につながっている。坂の多いイスタンブルに特徴的なアパートの造りである。一階に中年の夫婦セルダー(女性)とアフメット(男性)、二階にひとり暮らしのミネ(30代女性、栄養士)、ひとり暮らしのネルミンおばさん(女性、高齢)、三階に30代の夫婦サフィエ(女性、弁護士)とタイフン(男性、ミュージシャン)、そしてパオロ(男性、大学講師、イタリア人)とわたしが住んでいる。全戸、自分の所有か、近親者の所有で、賃貸はない。(図7
地震のあと、アパートの外壁に亀裂がはいった。三階のサフィエの部屋では、内壁からも亀裂が見える。地震のない地中海のほうに移住をすぐに考えたサフィエ夫婦は、アパートを売ろうとしたが、この状態では売れっこない。これが、二年前の話だ。
構造家エロール氏に、建物の状態を見てもらい、改修の方法を話し合う。屋上のテラスから浸食した雨水が、コンクリートを伝って鉄筋も錆びているところに、今回の地震で亀裂が入ったらしい。錆びた鉄筋部分を取り出して、かわりに鉄骨の枠を入れることにする。
それはいいのだが、今度は費用が問題だ。みんな、地震はこわいが、そんな余裕はいますぐにない、という。それなら、とパオロが言い出した。屋上テラスにある共同所有の倉庫部分を、僕たちが買い取ろう。いまの部屋とつなげてメゾネットにすれば、広くなるし、アパートのひとは、その費用を改修に当てられる。


「マンザラ」をめぐって

しかし、そこでうまくいかないのがトルコ人のしたたかさ。いわく、現在、放置されたままになっているこの部分は、改修したら不動産価値が出る、不公平ではないか。
それというのも、「マンザラ(眺め)」のせい。イスタンブルでは、家から海峡が見えるか、見えないかで不動産価値はずいぶん違う。じつは、このテラスからは、絶好の「マンザラ」があるのだ。しかし、この共同所有部分は、公式に登記されてはいるが、「住居」とはなっておらず、異議申し立てがあった場合、合法的に使用権を主張できない、という微妙な立場にある。俺ならやらないな、と登記所の担当官は声を顰めた。
無職のセルダー夫妻と、年金生活のネルミンおばさんはどうしても出せない、といいはったので、結局直接の被害を被った三階の住人と、ミネで費用をもち、共有部分をを三等分することになった。ここまで来るのに、地震から一年半かかった。その間、サフィエ夫婦は宿なしとなる。「マンザラ」をめぐる共有部分の分割問題がこじれて、ミネとサフィエは口を訊かなくなった。わたしたちは間に挟まれている。
工事が確定したので、やっと許可を申請する。家の前の道路に足場を組む許可と、「単純補修」の実施許可だ。所轄は、ボアジチ建設局である。申請に行ったサフィエは、ぷんぷん怒って帰ってきた。訊くと、担当官が高圧的で、不当な態度ばかりとるので、喧嘩をしてきたという。
打ち明けた話を書くと、ここは賄賂のやりとりの非常に多い段階である。計画を許可し、実施を監査するのも同じ部局なので、担当官の胸先三寸でいかようにもなる、というわけである。賄賂なしでここを乗りきろうとするひとには、関連書類を「間違って」ぜんぜん違う書類の山に葬られるなどの試練が待っている。われわれは、清廉潔白でいこう、と決めたが、困り果てて、結局裏ワザを使った。コネである。
トルコでは一般に、新築の場合よりも「補修」や「単純補修」のほうが許可がとりにくいといわれる。「補修」工事中に、申請した計画にない変更を勝手に加えるケースが多いからだ。また、地震後の改修を奨励するための特例措置などもとられていない。保存地区などで、特例に乗じて文化財を破壊する不心得ものが多いからで、管理する側も並大抵ではない。しかし、文化財や歴史的町並みを守るための法律がぎゃくに、ほんとうに補修を必要とするひとびとの首を絞めているというのも現実である。


「マンザラ」を返せ!?

ともかくもこの夏工事がはじまり、ほっとしていると、電話が鳴る。ボアジチ建設局からだ。「新しく架けた屋根について、向かいのひとが抗議しています」。いわく、われわれの「マンザラ」を妨害するな。そんな、60cmの高さの屋根なのに?最悪の場合、作りなおしだ。(図9
三軒両隣、親戚同士が連携して毎日電話をかける徹底体勢に、以前は高飛車だった担当官も、あきれ気味。しかも調べてみると、抗議する人々の「マンザラ」とは、無許可でつくられた部屋からの眺め、と判明。これって一体・・・。(図1011
最後には、逆に相手を訴えることもできる、という切り札を手に、まあここは穏便に、ということで、建設局の公式見解の出るのを待つ。結果、「許可が出た以上、この屋根をつくる権利を有する」。けれども、これ以上の抗議を回避するために、防水工事だけして、夢のメゾネットはもう一年間、待つことになった。(図12
それにしても、後味の悪い。いままで、挨拶しあったりして、険悪な雰囲気ではなかったのに、なぜこんなことを・・・。


買ったコムシュのお門違い

後日談がある。このレポートを書くのに写真を撮っていると、向かいのギリシア人墓地の墓守が寄ってきた。「あんたたちのところもねえ、あいつさえいなきゃあ、おもいどおりになってたはずなんだがねえ・・・」。あいつって、誰? それにしてもこのひと、噂好き。
訊いてみればなんと、この抗議者家族と、一階のアフメットとは、20年来の犬猿の仲なんだという。なんであれ、あいつの思い通りになるのは、夢見が悪い。そう思っているらしい。アフメットはこの工事にぜんぜん関係ないのに。なんだかあまりにもヒューマンで、怒りを越えてちょっと笑ってしまった。けれどこの抗議騒動には、別の面もあった。突然の外敵の出現に、ミネとサフィエは、ふたたび口をきくようになった。大国の外交にも似ている。
地震が間接的に露呈してしまう人間関係。「家を買うな、コムシュ(隣人)を買え」というトルコの諺を、噛みしめている今日この頃である。
(文中の登場人物は、筆者とパオロ以外仮名、敬称略)


profile

青木美由紀(Miyuki Aoki)
1970年生まれ、女性。イスタンブルとローマを拠点に、パリ、東京などでも点在する。オスマン帝国およびトルコ共和国の近・現代建築、美術を中心に、内外で六カ国語の出版物がある。19世紀のイスタンブルとパリを軸に、万国博覧会と「国家建築」概念の誕生をさぐる博士論文を、イスタンブル工科大学に提出。トルコ語通訳、現代美術・テレビのコーディネーターとしても活躍中。




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