DUAL CITY の隣人/他者
赤川貴雄
私は昨年、モンテレイ工科大学のモンテレイ2020戦略開発研究所に客員研究員として、メキシコ合州国、ヌエヴォ・レオン州モンテレイ市に滞在する機会があった。モンテレイ市は、メキシコ第3の人口規模の都市で、工業生産的な面
ではメキシコ・シティに継ぐ地位にあるにもかかわらず、グアダラハラ(メキシコ第2位
の人口規模)、ロス・カボス、カンクン等の観光地に比べればあまり知られていない。
またアメリカにもっとも近いという地理的条件やその工業都市としての性格から、メキシコ内部でも、もっともアメリカ的で、実業的な都市などと呼ばれたりしているが、実際に滞在してみると、私にはとてもメキシコ的な都市としか思えなかった。自動車に依存したライフスタイルや、都市構造は確かにアメリカ的ではあるが、不法占拠によって山をも越えて増殖していく市域(Fig1) (Fig2) (Fig3)を見ていると、メキシコ・シティを想起させる。ただ大きく異なるのは、モンテレイが、標高500m程度に位置する砂漠の街であるということであり、かつ3000m級のシエラ・マドレ山脈を後背地としていることである。(Fig4) さて、このスペースを借りて私が語りたいのは、モンテレイ市とさらにアメリカとの国境に近い、ヌエヴォ・ラレド市のボーダー・シティとしての考察と、ボーダー・コンディッションともいえる現象、及びその原因となる、国家間の経済格差のもたらす暴力的影響と、情報技術がさらにそれを加速するであろうという予感である。
サスキア・サッセン女史はグローバリゼーションが「国家領土の部分的な脱国家化」(注1)を伴い、世界中に、世界経済の蓄積の中枢としての「グローバル・シティ」が形成され、それは、同一都市に、極度の貧困と富裕が同居するDual
Cityとしての性格を持つとした。サッセン女史はニューヨーク等をグローバルシティの例としてあげているが、モンテレイ市もグローバル・シティとしての条件を備えている。ただその貧困と富裕の同居は、グローバリゼーションの結果
だけではなく、400年前から独立までのスペイン支配時代からの歴史を受け継いでいる面
も強い。モンテレイ市の中心部は幾度に及ぶ経済危機により皮肉にも前世紀からの建築物や、50年・60年代のインターナショナル・スタイル建築の宝庫となっている。(Fig5)
(Fig6)中心部の旧市街地にはスペイン支配時代の戦場の布陣をベースとする典型的なグリッド状のコロニアル都市の原型が見受けられるが、まさにこの部分がDual
Cityの貧困エリアとなっている。(Fig7)
モンテレイは今世紀初頭、鉄鋼の街として発展した。しかしモンテレイ市の基幹産業であった鉄鋼業の象徴ともいわれた最大の鉄鋼所は経済危機(注2)によって廃業に追い込まれ、現在はFundidora公園(Fig8)として、スポーツ・文化施設として再開発されている。Fundidoraとは「街の発祥の産業」という意味が込められているようなのだが、その基幹産業が廃業してしまった遺稿をあえて前面
にだすところにメキシコ的悲哀を感じた。この事実は経済危機や、グローバル資本の要請による生産基地としての、モンテレイ市の産業構造の変化に深く関係している。(注3)サッセン女史はこの経済危機を「グローバルな金融市場がメキシコ経済の指導部に対する「信任を失った」結果
」である(注4)と指摘しているが、私はそれにも増して、タイのバーツ危機の時のように、国際的な投機集団の電子攻撃、またヴィリリオのいう「事故(アクシダン)」の影響を重視したい。これはIT社会の脆弱性とその瞬時破壊可能性としてもっと研究されるべきであると思う。(注5)
メキシコのアメリカとの国境近くには、「マキラドーラ」と呼ばれる「輸出加工区」(半加工品をさらに加工するために低賃金諸国へ輸出し、加工による付加価値に対する関税を支払うことなく、加工された商品を元の国に再輸入する街)が多く存在する。その背景にはグローバル企業の費用削減意図と、メキシコの低技能労働者の労働需要が一致する結果
、自然増殖しているという事実である。(しかしそのコスト低減分は、環境対策の不十分なマキラドーラ地域での環境汚染というコストとして、メキシコが負担することになる。)考えてみれば、環境対策法規先進国としてのアメリカの環境基準も「国境」を越えた瞬間に、意味をなさなくなり、またそれを規制するような国際法規など存在しないことに留意するべきである。(Fig9)ここで、日本人はアメリカを単純には非難できないことを指摘したい。日本が海外生産する際、たまたま(というか実際これは非常に重要なポイントなのであるが。)「国境」が「見えない」だけで、他のアジア諸国の環境に同じ原理で悪影響を与えているという事実を忘れてはならない。「国境」が見えないために、つまり「他者」が見えないために、「他者」に対して思いがよらないというのがグローバル経済では常態となっているのである。
ヌエボ・ラレドという国境の街があるが(Fig10)、ここでは我々日本人が目にしたことがない光景を見ることができ、自分で国境(リオ・ブラヴォ川)を橋で渡れば「国境」を「体験」することができる。(飛行機に乗る前の儀式としてではではなく、身体行動をともなった「体験」である。)私はNAFTA(北米自由貿易協定)の成立を北米のEU化と同視していて、EU内での国境越えがシームレスなのを思い出していたので、アメリカ−メキシコ国境の通
関及び出入国の厳重さには驚いた。その時初めて、NAFTAがEUとは似て非なるものということが解った。
大学での研究で、アメリカ−メキシコ間には緊密な情報通信ネットワークが形成され、移動体通
信網を見ていると(Fig11)両国は融合してきたのではないかと考えていたので、余計に以外であった。それどころか、アメリカに入って何十キロ進むと、もう一回検問所があると聞いてさらにおどろいた。(朝鮮半島の38度線でもあるまい。)さらにはラレド市(アメリカ側)が実質的にはアメリカの中のメキシコであるということである。(まさに国家領土の部分的な脱国家化である。)
IT技術の発展と普及は発展途上国では、乗数効果的にデジタル・ディヴァイドをつくりだすであろう。しかし微かに希望もみられる。それは、不法占拠人口がいままで「住所」を持てなかった為に、固定電話に加入できなかったのが、移動体通信によって電話をもてることになり、さらに昨年より始まった携帯電話からのインターネット接続サーヴィスを受けれるようになったことである。(Fig12)
サッセン女史は、今まで我々が国家主権と考えていたものが、民間のグローバル勢力によって実質的に意味を失っていると指摘する。そして「多くの先進国の経済空間の脱国家化と政治的言説の再国家化との間の緊張」(注6)を考察し、その緊張の決定的な連関として「移民」をとらえている。実際メキシコ−アメリカ間の移民問題は深刻で、毎年何人もの人が、国境を越え命を落としている。果
たして、映画のなかのパラダイスとして映るアメリカに無事到着したとしても、そこで待っているのは、場合によってはメキシコよりひどい生活水準と排他的な環境である。つまりグローバル経済のもとではいったん貧困の「わな」にはまってしまうと、どの国のどの主要都市もDual
City化しているため貧困から脱することができないようになってしまっているのではないだろうか。
「他者」は隣国にいるのではなく、同じ街の「隣人」のこととなってしまうのか。
(注1;p.42、サスキア・サッセン著、グローバリゼーションの時代−国家主権のゆくえ、平凡社、1999年)
(注2;モンテレイ工科大学での同僚の一人のオドゥラ・カルデナスさんにメールで確認したら、確かに国際グローバル勢力の搾取もあるが、メキシコ政府の腐敗と無策も大きな原因で、危機のたびに深まる貧富の差に、貧民層は国境を越えるしかないという現実があると指摘された。なお国境を越えているのはメキシコ人だけでなくさらに中南米からも越境しにくることを付け加えていた。)
(注3;もっとも最近で深刻な経済危機は1994年のもので、ペソは1ドル=3.5ペソから10ペソ程度まで下落して、メキシコの中間層と低所得者層の生活に破滅的な打撃を与えた。)
(注4;p.19、サスキア・サッセン著グローバリゼーションの時代−国家主権のゆくえ、平凡社、1999年)
(注5;p.109、ポール・ヴィリリオ著、電脳世界−最悪シナリオへの対応、産業図書株式会社、1998年。ここでヴィリリオは「テレコミュニケーションの双方向性が、制御しそこなった放射能と同じ弊害を生み出してしまう」と指摘し、1987年の金融恐慌はプログラム・トレーディングに原因があると指摘している。)
(注6;p.44、サスキア・サッセン著グローバリゼーションの時代−国家主権のゆくえ、平凡社、1999年)
profile
赤川貴雄 Takao Akagawa
建築家、都市研究、アーバンデザイン専攻建築学修士(MAUD)
1966年 大阪生まれ
1989年 東京大学工学部建築学科卒業 槇研究室
1989年〜2000年 竹中工務店設計部
1996年 ボストン建築センターBAC、秋期スタジオインストラクター
1997年 ハーバード大学大学院デザイン学部 アーバンデザイン学科卒業
2000年 モンテレイ工科大学、モンテレイ2020戦略開発研究所、客員研究員
1986年 国際デザインコンペ高度情報都市についての企画提案;佳作
1987年 新建築日新工業建築設計競技;特別賞 (共同)
1989年 東京大学より「辰野賞牌」受賞
1989年 新建築タキロンデザインコンペ「都市の滝」((審査員、フランク・O・ゲイリー);佳作
1993年 ハーバーランド・モザイクの設計で「商環境デザイン賞」優秀賞 (共同)
1993年 ハーバーランド・モザイクの設計で「兵庫県さわやか街づくり賞まちなみ部門受賞 (共同)
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