「カシャッ!パシャッ!タシャッ!」
堀井義博
自分でも理由は分からないが、留学に興味を持ったことはほとんどないというのに、海外で働くことには子供の頃から興味があった(と思う)。留学について考えたのは、たんにそれが海外で仕事を得るための一番手っ取り早い方法じゃないかと考えた時の一時的な思い付きに過ぎない。結論から言えば、私には留学経験は無いが、しかし現在、何故か海外で職に就いている。
私が勤務しているここチューリヒの連邦工科大学では、各学期ごとにセミナー・ウィークという特別授業の週があり、各デザイン・スタジオが様々な企画を出す。主には海外への建築・都市見学旅行が多いが、場合によってはワークショップを行うこともあるようだ。旅行自体も、スタジオで扱う設計課題と連動させた内容が組まれることもあり、実際マリオ・カンピのスタジオでは課題の敷地に扱っている上海へのツアーを敢行したようだ。学生や我々アシスタント達はそれらの企画から比較的自由に希望のものを選択して参加することができる。もっとも、超過の場合には抽選となるし、また、もちろん自分達のスタジオで企画しているツアーには当然それに参加する(というよりも引率する)ことになる。
昨年の10月からの着任のため、私はまだ事情がよく飲み込めていないままに先学期のセミナー・ウィークを迎えたが、仕事の相棒の誘いで一緒にメキシコ・シティへの旅に参加した。なおこの時、私達のスタジオは時間が無く企画を出さなかったが、現在は次学期に向けて東京ツアーを画策しているところだ。東京への旅を企画する理由は、我々のスタジオの課題と連動させるためだが、しかしこれを現実的な予算で組むのは非常に難しい(学生達は、自費でこれらのツアーに参加する)。多少のロマンチックな表現が許されるなら、筆者の個人的な気分の中では、日本だろうがヨーロッパだろうが所詮は同じ星の表面 にあるはずなのに、実際にはこちらから見た日本はあまりにも遠いのが現実だ。
さて、チューリヒは私にとって初めての街であり、かつメキシコ・シティもまたそうである。チューリヒに居ながらメキシコ・シティに関する記事を書くことの奇妙さは、だから単にそれらの都市がまったく正反対の性格を帯びているから、というだけではない。色々な意味において、チューリヒ=東京間で感ずる距離よりもむしろチューリヒ=メキシコ・シティ間で感じた距離の「近さ」が、筆者を非常に奇妙な気持ちにさせたからだ。もっとも何人かのスイス人達は、筆者とはまったく逆の印象を述べていたのだが。曰く、メキシコ・シティの中心部の-----ヨーロッパ人には-----信じ難い過密は、彼等が東京に対して抱いているイメージと重なる、のだそうだ。
数あるセミナー・ウィークのメニューの中から、私がメキシコ・シティを選んだ理由は非常に単純だ。先述したように、基本的には、たんに仕事の相棒の選択に従ったに過ぎないが、その一方で、単に自分は「ここ(チューリヒ)とは違うと想定される他の何処かへ行ってみたい」と思ったに過ぎない。それにも関わらず、メキシコ・シティで感じたその意外な「近さ」は、おそらく誰もそれについては明確に語ることができないだろう《ヨーロッパ》という得体の知れない怪獣が歴然と存在しているためだろう。元を辿れば我々日本人と同じモンゴロイド達の居住区であるはずのメキシコ・シティは、実際には、紛れもなく血まみれの《ヨーロッパ》の末裔であった。もちろんそのための屈折を、そこかしこに感ぜずにはいられなかった。
さて、当のメキシコ・シティへの旅の内容であるが、やや強行軍気味の非常に盛り沢山なツアーが組まれていた。キャンデラ、バラガン、レゴレッタなどの名だたるメキシコの建築家達の仕事やいくつかのオフィスを巡る一方で、有名な遺跡であるテオティワカンへも足を運んだ。
その一方で、現在進行形のメキシコ・シティを体験し、その建築を観る、という意味においては、ツアーの内容は完全に的を外していたように感じた。それは筆者にとっては、いかにもヨーロッパ人達のツアーであって、オリエンタリズム以外の何ものでもなかったのだ。何故なら、四六時中バスに乗っての点と点を結ぶ移動の連続は、都市の経験というよりも、明らかにサファリ・パークの体験に似ていたからだ。それは自身を現実の中に放り投げることをせず、欲望のスクリーンへ自身の幻想を投影するという行為(=オリエンタリズム)に他ならない。私が感じたチューリヒ=メキシコ・シティ間の「近さ」は、この(飼いならした)家畜を見つめるような雰囲気を持った眼差しとも関連していたのかも知れない。
果たして《彼等(=ヨーロッパ人)》達が「むき出しの現実」を直視する、ということはあり得るのだろうか?あるいはそういうつもりはそもそも無いのだろうか?いや、もちろんこれは個々人の問題であり、一般論として語ることは避けられるべきなのだが。
そういう意味において、私達のスタジオで計画中の東京ツアーは、オリエンタリズムの再現に陥ることなく、まさしく進行形の(生身の)東京を如何に彼等に体験させるか、が、最大の課題だと考えているのだが、その実現こそが究極の困難でもある。困難は予算だけではない。
また、ツアーのプログラムの外部にありながら、3年に一度行われる革命記念集会に出くわしたのは、筆者にとっては特筆に値する出来事だった。我々のホテルは、この集会が行われるソカロという市の中心の巨大広場に面していたため、準備段階からその一部始終を特等席で見ることが出来たのだが、キューバからはカストロが祝賀に来賓していたという。同行者の一部は、ほとんどメディアに顔を出さないこの謎の有名人を間近で目撃したらしく「この旅行ではカストロを見れたのが一番感激」と大はしゃぎしていたのは、先述したオリエンタリズムの件と関連して、実に皮肉めいて印象的だった。
ところで余談になるが、よく「日本人旅行客はいつも集団行動をとる」と言われている(というよりも《彼等》はそう言う)が、それと同じように「日本人観光客達はちっとも自分の目でその風景を見ず、カメラのファインダーばかり覗いている」とも言われているものだ。
これにまつわる、ちょっと笑えないエピソードを一つ挙げておこう。
テオティワカンのピラミッドの頂上に登った時、筆者は沢山の仲間達と共にそこにいた。しばらくして5〜6人の日本人の小集団がやって来た。するといきなり我々のツアーの仲間のスイス人やドイツ人学生達は、筆者に向かって、無邪気に笑いながらこう言ったものだ。
「ほら、見てみて。何処に行っても、日本人ってああやって写真撮ってばかりなんだよ。」
筆者は唖然とするより他なかった。何故なら、そう言ってのけた数名の学生達は、まさにシャッターをバシャバシャ切り続けている最中であり、その息抜きにそれを言ってのけたのだから。彼等がそうしている間中、筆者は写真を撮ることなどすっかり忘れ、ピラミッドの頂上でアズテックの風と共に踊り続けていたというのに。
profile
堀井義博 Yoshihiro Horii
1967年05月、大阪府生れ
1990年03月、京都工芸繊維大学工芸学部住環境学科卒業
1992年03月、同大学大学院造形工学専攻修了
1992年07月、株式会社ユーピーエムに就職
2000年03月、同退社
2000年10月、スイス連邦工科大学チューリヒ校の妹島和世スタジオでティーチング・アシスタントに着任、チューリッヒ在住
*堀井氏はウェブサイト「cybermetric」で活動の軌跡を公開しています。
URL=http://www.cybermetric.org
ETHに着任するまでの経緯やチューリッヒでの生活など、詳細についてはこちらをご覧ください。
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