2006 第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展 レポート
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都市と建築の未来

9月の開幕からふた月が過ぎ、建築展が終盤に突入した
ころ、パビリオン部門の金獅子賞が発表された。

栄冠を得たのはどこか?

それはスペイン館でも日本館でもなかった。
獅子を射止めたのは、なんとあのデンマーク館だった
のである。

ネットのニュースでそれを知ったぼくは、マウスを握り
しめたまま、まばたきも忘れて固まってしまった。
第8回レポートでお伝えしたように、同館が披露した
中国を舞台とする都市計画は、派手で大味なデザイン
がお世辞にも美しいとはいえなかったからである。

審査委員会のコメント(※1)は、こう始まる。

「環境問題に直面する中国の都市に対して、具体的な
 解決策を示して手を差しのべる、オープンな姿勢が
 いい」

すなわち活動の国際性、エコ都市というタイムリーな
テーマ設定、それに対する技術的な解答、の三本柱が
高く評価されたようだ。
その上で、プロジェクトが美しい形に結晶したことを
委員会は賞賛しているのだが、この意見を素直に受け
入れられないぼくは、センスに問題があるのだろうか。

そう思って、デンマーク館の展示を冷静に振り返って
みた。すると、図面や模型そのものはむしろ美しいこと
に気づいたのである。
屋上に植栽をほどこしたビルが集まって、全体として
小山のような印象を与えるプロジェクトは、有機的な
表情がなかなか面白い。

にもかかわらず、展示会場でぼくが醜いと感じたのは、
この手のアイデアが行き着く無残な現実を知っている
からにほかならない。
E. アンバースのアクロス福岡や、M. アンドローが設計
したパリのオムニスポーツセンターの名を挙げれば十分
だろうか。
巨大な建物を緑でカムフラージュして山に見せかけた
ところで、本物の山とは似ても似つかない、非人間的で
卑屈なものしかできないのである。

結局のところ、審査員は

「エコロジー」

という理念の美しさにとらわれるあまり、こうした現実
にフタをしてしまったに違いない。
目利きの審査員ですらこうなのだから、「エコロジー」
という合言葉の魔性を、ぼくたちは肝に銘じる必要が
ある。

思えば、20世紀の味気ない町並みは

「機能」

の信奉者たちによってつくられた。理念に煽られやすい
人間の性を考えると、「エコロジー」が今後の都市風景
を良くも悪くも激変させることは間違いない。環境には
優しくとも、歴史や人間に配慮を欠いた緑の都市は、
もうすでに生まれ始めているのである。

だが、都市の未来をいたずらに悲観する必要はない。

路上観察のスライドを見ていて、ぼくはそう確信した。
どんな平凡なまちにも、自然の意思や人々の生きざま、
流れた時間などの痕跡があり、それが都市に人間味を
与えているのだと、路上観察は教えてくれる。

京都御所を貫くママチャリの「ケモノ道」、雨樋の先に
置かれた如雨露、ツタのドレスをまとった自転車。
それらを眺めていると、そこに住まう人々が何と愛しく
感じられることか。
美しいヴェネチアにしても、路地を彩る洗濯物たちが
なければ、これほどの愛着は湧かないはずだ。人々の
生活の息吹はそれくらい大事で、しかも嬉しいことに、
「機能」や「エコロジー」といった理念にかき消される
ほど、ヤワなものではないのである。

そしてもうひとつの希望の灯は、日本館が審査員や観客
から熱い支持を受けたこと。

日本館はデンマーク館につづく次点を獲得し、

「ピュアで美しい形、心から楽しめる展示」

という賛辞を贈られたのである。
観客の中には、自らの手で建築をつくろうと思い立った
人もいれば、路上観察に目覚めた人も、改めて世界の
建築風景に息を飲んだ人もいるだろう。
藤森建築には慣れ親しんでいるぼくも、手製の模型たち
の奔放な楽しさを見ていると、手を動かしたくてたまら
なくなった。

ひとつ確かなことは、日本館には人を行動に駆りたてる
何かがあったということである。
建築や都市という途方もない人工物を、実はちっぽけな
素人でも生んだり育てたりできるのだと知って、みんな
目からウロコを落としたのではないか。

「今度はあなた自身が主役なのだ」

と言われて観客がその気になったとすれば、これほど
ポジティブなことはあるまい。

平凡だと決めつけていた自分の住むまちや故郷を人々が
見直すとき、毎日がより豊かになることは間違いない。
そしてそれぞれのまちを舞台に、失われつつある地域の
材料を使って、みんなが自分の手で何かをつくり始めた
ら、どんなに楽しいことだろう。
それは、エコ都市の激流から逃れる、小さな隠れ家かも
しれない。
ジェンネの泥のモスクのような、住民によってつくられ
維持される建物、あるいはそれを超える集落的規模の
作品が生まれるかもしれない。
そしてもしかすると、エコ都市の潮流を、より人間的な
ものに変えてしまうことすら、ありえるのである。

そんな未来を、ぼくは心待ちにしている。

※1 審査員はRichard Sennett(委員長)、Amyn Aga Khan、
Antony Gormley、Zaha Hadid の4名であった。
コメントの原文は以下の公式サイトに掲載されている。
http://www.labiennale.org/en/news/architecture/en/67078.html


(おわり)

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西安の城壁に沿って計画された「Citywall」。
歴史に対する暴力的なアプローチが気になる。
重慶の郊外に計画された「Magic Mountains」。
高層のオフィス棟と低層の住居棟が集まって
できた、山を思わせる有機的な形が面白い。
京都御所の砂利敷きの中にできた「ケモノ道」。
路上観察学会の誇る発見のひとつ。
雨樋の水を有効利用する如雨露と、その先に
ある植木鉢の位置関係が絶妙である。
ツタでドレスアップされた自転車。
以上の3点は、日本館のカタログより転載。
ギャラリー・間の個展(1998)を機に作られた
手製の第1号模型。藤森は「宝物」と呼ぶ。
飄々とした高過庵の模型。
焼杉ハウス(建設中)の焼杉模型。
西アフリカのマリ共和国、ジェンネにある泥の
モスク。突き立った棒の群れは泥を塗る足場となる。
モスクや家の構造体に用いられる日干し煉瓦。
ニジェール河畔の湿地でつくられる。
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