2006 第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展 レポート
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天命を待つ瞬間

オープニングの前日は、目の回るような忙しさだった。
ドームは完成間近ながら埋めるべきマス目や隙間が
いたるところにあったし、玄関まわりの焼杉の仕切壁
にはまだ入口が開いていなかったし、壁にかけられる
べき写真パネルはまだ床に置かれたままだった。
つまり、なにひとつ片が付いていなかったのである。

よそは作業が順調なのか、いろいろな館から人々が
覗きに来て、ぼくたちの手を大いに煩わせた。
そして妙だったのが、連中の反応である。
ある韓国人カメラマンなどは、

「あの作業服を着てドームによじ登っているのが
 コミッショナーの藤森照信だよ」

と言ったとたん、細い目をまんまるにして驚いて
いた。
スペイン館のコミッショナーが挨拶に来たときも、
作業着姿で汗を流す藤森を見て本気で腰を抜かした
らしいから、エラい人が先頭に立って働く日本館は、
かなり常識の逆を行っていたようである。

また床に敷かれたものが何なのか、縄が何でできて
いるのか、まるで見当がつかないらしく誰もが同じ
質問を繰り返していった。
日本建築の写真集でおなじみの材料はどこにもなく、
彼らの目には、まるで

「アフリカ館」

のように映ったに違いないのである。
あんぐり口を開けて立ち尽くす来訪者を前にして、
ぼくは度の過ぎたいたずらをしでかしてしまった
子供のような、ちょっと複雑な気分だった。

さてドームの作業はというと、ワラくずのほこりが
舞い降りるなか、上を向いて天井を仕上げるのが
何より大変だった。
背が高いということでこの難役を引き受けた林丈ニは、
ミケランジェロの苦労を味わいながらも、ひるむこと
なく上を向きつづけた。
また路上のメンバー中、戦力としてあまり期待されて
いなかった松田哲が、ドームの外から仕上げ作業に精を
出していたのも、うれしい誤算であった。
そして夕方、チームの総力を注ぎ込んだ縄文のドーム
はついに完成したのである。

一方、焼杉の仕切壁には電動の丸ノコで穴がうがたれ、
鼠木戸 (※1) とよばれるくぐり戸が姿を現した。
くぐり戸の縁には焼杉面の保護と装飾をかねた金箔が
藤森自らの手によってあしらわれ、これをもってすべて
の工作作業に終止符が打たれた。
写真パネルの設置やキャプションの貼付けなどの居残り
作業も夜半には終わったから、藤森の段取りはギリギリ
のところで成功だったといえるだろう。

そして一夜明けた、運命の9月6日。
オープニング初日だというのに日本館にやってくる
人は驚くほど少なく、ぼくはすっかり拍子抜けして
しまった。
もっともこの日はプレス限定の特別公開日で、各館の
関係者すら入場を制限されていたから、今にして思えば
どこも閑古鳥が鳴いていたのである。

そして翌7日から3日間にわたる建築関係者への事前
公開では、一転して大勢の客が押し寄せ、受付の係は
大変な思いをすることになった。
ことに7日は日本館のレセプションパーティが開かれる
とあって、その開始前にできた人だかりと熱気のすごさ
といったらなかった。

そんな中、作業着ならぬスーツ姿の藤森が行った演説は
自身の建築観の表明であり、簡潔ながら示唆にとんだ
とても印象深いものだった。
ぼくの耳にずっしりと響いたのは、次のくだりである。

「自然素材を使いながら伝統をいかに乗りこえるか、
 私はずっと考えてきた」

藤森は処女作の神長官守矢資料館 (1991) で鉄平石の
屋根や割り板の側壁を試みて以来、自然素材による
新しい建築表現を毎回のように開拓してきた。
ワラの煮汁を混ぜ込んだ漆喰、タンポポやニラの屋根
仕上げ、銅板や焼杉の壁など、藤森によって生命を
吹き込まれた材料は数知れない。
そう、藤森はただ「考えてきた」だけでなく、仲間と
ともに多くの汗を流してきたのである。それが藤森の
言葉の重みであり、縄巻きの生々しい苦労が今まさに
このスピーチにリアリティを与えているのだと思うと、
しみじみとした気分になった。

日本館から出てくる人たちの紅潮した顔、つめかける
メディアの真剣な表情を見ていると、藤森が投げつけた

「日本館アフリカ展」

という巨大なびっくり箱は、驚きと好意をもって受け
入れられたように思われた。
藤森自身、フタが開けられるまでは相当不安だったに
ちがいなく、縄文のドームに大勢の人が入っているのを
見て、子供のように喜んでいた。
そしてドームの中で笑いがわき起こると、路上仲間
ともども、ほっとした表情を浮かべていたのである。

そしてオープニングの最終日、藤森が親友の伊東豊雄
を迎えたときも、折わるくドームは満員だった。
伊東は入口から中をちょっと覗いただけで結局入れず
じまいだったのだが、藤森は残念というよりむしろ
満足げな顔をしていた。

その夜、チーム全員が集まって大宴会が行われたとき、
金獅子賞 (※2) のゆくえがさっそく話題にのぼった。
単なる仮設の足場ではない、まともな構築物を作った
のは日本館以外になく、その意味でぼくらの展示が
もっとも建築展らしいものだったことは疑いない。
しかしまったく政治色のない愉快な展示が、そんな
大それた賞を受けるチャンスはあるのだろうか。
みんながそう自問しているとき、赤瀬川は言った。

「審査員に勇気さえあれば!」

このセリフの人間臭さがおかしくて、ぼくらは夜が
更けるまでいつまでも笑い続けたのであった。


※1 鼠木戸
ねずみきど。歌舞伎や人形浄瑠璃などの芝居小屋に
おいて、江戸時代に一般的だった入場口の形式。
背をかがめ、またぎながら入る必要があり、体の動き
や大きさをいやおうなく意識させられる入口である。

※2 金獅子賞
ヴェネチア建築展では功労者、作品、パビリオンの
三部門で最高賞としての金獅子賞が表彰されるが、
ここではパビリオン賞のこと。
日本館が同賞を受けたのは阪神大震災をテーマにした
1996年の「亀裂」展のみ。コミッショナーは磯崎新。



(第6回へつづく。敬称略)

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縄のおかげで頑丈になったドームに登り、
最後の穴埋めにかかる藤森。
完成が近づき、幻想的な光模様に包まれる
縄文のドーム。
大きな隙間を埋めるために考案された縄巻き竹、
通称「ごぼ天」。
鼠木戸のまわりを金箔で保護する作業。
白壁、焼杉と金箔が面白いコントラストをなす
入口の鼠木戸。
レセプションのスピーチで、路上観察のメンバーを
紹介する藤森。
メディアのインタヴューを受ける藤森。
インタヴューを受ける路上のメンバー。
多くの観客でにぎわう館内。
くつろいでスライドショーに見入る観客。
ドームのにじり口は、子供たちにとって
格好の遊び場となった。
展示を見ながら談笑する藤森と伊東豊雄。
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