日本館は、欧米列強の展示館が並ぶジャルディーニ
(庭園)会場の、やや奥まったゆるやかな傾斜部に
位置している。
昨年50歳を迎えたこの建物は、ル・コルビュジエ
に学んだ吉阪隆正の代表作の一つであり、単純さと
奥深さを兼ねそなえた不思議な建物である。
それは豆腐に似た16メートル角の四角い箱であり、
風車状に配された4枚の分厚い壁に持ちあげられて
宙に浮かんでいる。
壁はそのまま床をつらぬき、天井までのびてそれを
支えているから、構造論理の一貫性という意味で、
これ以上シンプルな構成はありえまい。
日本館が平凡な箱にとどまらないのは、ひとつは
アプローチの庭空間のおかげであろう。単純な箱は、
一歩ゆくごとに変化し、豊かな表情を見せてくれる。
そしてもうひとつ、独特の壁配置による二重の空間的
効果も、見逃せない。4枚の風車羽根は内部をゆるやか
に分節しながら、同時に左回転の秩序を与えることで、
求心的な一体感をも醸しだしているのである。
ちょっと眩暈がしそうな、こんな空間は昔どこかで
見たなぁと思ったら、何のことはない、四畳半の
和室の畳の目にそっくりではないか。
二次元の伝統を、自由で流動的な三次元の空間へと
昇華させた吉阪の力量には、うなるしかない。
さて、今回の日本館の展示
「藤森建築と路上観察
−建築のシュールレアリスムと都市の無意識−」
は副題が少々難解だが、これまで別々に発表されて
いた二つの活動を、あえて同じ器に盛ろうという
新しい試みである。
藤森建築と路上観察が、藤森個人にとってコインの
裏表であるばかりでなく、それらが実はもっと奥深い
「無意識」の世界で普遍的につながっているのでは
ないか、というのが彼の問いであり、展示の目的は
その答えを可視化することにある。
ただ、両者に通底するものが何なのか、
「まだ理論化できない」
と本人が白状している(※1)ように、これは簡単な試み
ではない。「分けながら、一体化する」日本館の空間
特性が力になってくれるにしても、これは難しいぞ、
というのがぼくの第一印象だった。
藤森自身はといえば、そんなことで悩む様子は
まるでなく、昼食から戻るとすぐに原寸での設計
作業にとりかかった。
藤森がやおら取り出したものは白と黄色、そして
茶色の粘着テープであり、工作物の予定位置を
それで床や壁にマークしようというのである。
彼の頭には、すでに具体的なイメージがあった。
まず、会場内部は全面、籐ゴザ敷きとすること。
靴を脱ぎ、置くための広い玄関を取り、内部と
玄関の間は杉板のパーティションで仕切ること。
杉板に設けられた小さな木戸から、一人ずつ
くぐるように入場すること。
そして会場の中央にはメインの工作物である竹の
ドームを据え、その中で路上観察のスライド上映
を行うこと。
杉の仕切り壁と竹ドームの位置を決めるために、
みんなで床に這いつくばってテープを貼り、それを
眺めては、またはがして修正する、という作業が
2時間ほど続いただろうか。
最終のラインを巻尺ではかり、それをノートに
書き留めた藤森は、あっさりとこう締めくくった。
「じゃあ、これでもう終わりましょう」
その日の作業が終わったのではなく、当初二日間を
予定していた準備の作業が、すべて終わってしまった
のである。
底冷えのする日本館でもう一日準備につきあわされる
はずが、明日はみんなで近郊にあるパラディオや
スカルパの小品を訪ねようという話になって、一同、
白い膝小僧をふるわせて喜んだことは言うまでもない。
藤森の段取りの良さと行動の早さについては、すでに
よく知っているつもりでいたが、今回のような大舞台
でも迷いなく先へとすすむ姿を見て、ぼくは少し呆気
にとられていた。作家という生き物は、ふつう時間
ギリギリまで悩み、粘ることで作品の質を上げよう
とするものだからである。
その後、藤森の実測メモをもとに日本で実施設計が
行われた。シンボルとなる竹のドームは東大生産技術
研究所の実験室で仮組みされ、組み上げの手順と安全性
が確認された。解体された竹のドームは、ゴザや杉板、
模型などとともに6月にコンテナに詰められ、すでに
地球を半周する大航海を終えて、ひと足先にヴェネチア
へと到着している。
だが藤森をはじめ、赤瀬川、南、松田、林といった
作業の本部隊が現地入りするのは9月1日の夕方で
あり、プレスへの内覧会が行われる9月6日まで
わずか四日間の猶予しかない。
いくら段取りのいい藤森でも、はたしてこの短時間
で勝負を決められるのだろうか。
※1 国際交流基金ホームページの展覧会趣旨説明による。
(第3回へつづく。敬称略) |