2006 第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展 レポート
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冬のヴェネチア行き/佐々暁生

2005年の暮れ、藤森照信から突然連絡があった。

1月にヴェネチアへビエンナーレ会場の下見に行くが、
君の都合はどうか、と。

研究室のメンバーで現在ヨーロッパに留学中なのが
ぼく一人ということもあって、藤森は欧州で何か
用事があるたびに、この不肖の弟子に声をかけて
くれることになっている。
しかしながら、藤森が日本館のコミッショナーに
なったことを知らされていなかったぼくにとって、
展覧会場の下見とはまさに寝耳に水だった。

何か面白いことがはじまる、ということだけは
すぐに分かったので、イチもニもなく

「行く」

と返事をしたが、一方では自分が何の役に立てる
のか、すこし心配でもあった。だいいち、ぼくは
イタリア語をカタコトすら話せないのである。
しかし、まだ訪れたことのないヴェネチアを思うと
楽しみで、遠足の日をゆびおり数えて待つ子供の
ような気分になった。

そして年が明け、正月気分も抜けた1月21日。
寒さの厳しいパリから南国ヴェネチアへと旅立った
はずが、降り立った彼の地はまるで北国を思わせる
底冷えでぼくたちを迎えたのである。
それがまだ序の口にすぎないなどとその時は知る由も
なかったが、三日後には凍りついた海を見せられて
一同仰天するのだから、あの寒波は並のものでは
なかった。

そんなわけで翌朝、展覧会場である日本館の下見に
出かけた時は、一段と冷え込みがきつくなっていた。
藤森は「地中海性気候」という言葉のもつ暖かい
響きにだまされて軽装だったが、まるで屋外のように
凍てついた日本館内で、これでは体が持たないと
すぐに悟ったようであった。

だが、転んでもただでは起きないのが彼の流儀で、
困ったときほど逆に生き生きとして打開策を練り
はじめるのだから面白い。
発泡スチレンのシート状梱包材を見つけると、
そのまん中にスポンと丸い穴を開け、あっという
間にカミシモのような防寒着を作ってしまった。
裂けやすい首まわりと裾、腰まわりがきちんと
テープで補強されているところがミソで、
本人に言わせれば

「ガキの頃からの野遊び経験のたまもの」

なんだそうである。
藤森の創作には一見乱暴な即興性がいたるところに
ちりばめられているが、それらが破綻しないのは
こうした経験や洞察の裏づけがあるからなのだと、
カミシモ姿の藤森を見てあらためて納得した。

その後、カミシモの上にコートを着込み、ホテルの
洗面用タオルで頭を防寒した藤森は、どこからどう
眺めても山男といういでたちであった。
日本館を運営する国際交流基金の人たちも、それを
見てクスクス笑いが止まらず、初対面のこわばりが
それでほぐれたようだった。
「東大教授」という看板はともすれば過大な緊張を
周りの人に強いることがあるけれど、藤森は山男に
自ら変身することで、いとも簡単にその看板を
外してしまったのである。

館内の実測を終えて、近所の気さくな大衆食堂で
昼食をとるころには、みんなすっかり藤森のペース
にはまり、その話に目を輝かせて聞き入っていた。
ぼくは大きな羊肉のカタマリにかぶりつきながら、
今回もきっと面白くなるゾ、と確信して何度も
うなずくのであった。
あらゆる立場の人が楽しんで参加してくれて
はじめて、チームにまとまりと勢いが生まれる
ということを、ぼくは藤森の現場で学んだような
気がする。

日本館への帰り道、満腹になったぼくらの頭上には、
新しい船出を祝うかのように、色とりどりの洗濯物が
はためいていた。

(第2回へつづく。敬称略)

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寒波のため、凍りついた海。
船はジャリジャリ音を立てて進んだ。
冬の日本館近景。
藤森流カミシモ型防寒チョッキ。
数回の使用に耐えうる作りで、ベルトは
荷造り用のひもである。
山男と化した藤森。
洗濯物が空中を飛び交うヴェネチアの路地風景。
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