5月31日から2ヶ月間に渡って開催された第一回リスボン建築トリエンナーレは、先月31日に閉幕した。最終回となる本稿では、これまで取り上げなかった展示についてレポートするとともに、今回のトリエンナーレで見えた問題点、そして展望について述べてみたい。
ポルトガル・パヴィリオンでは、前回までにレポートした「各国の展示」、「ポルトガルの展示」以外にもいくつかの展示が行われた。
「招待建築家展(Guest Architects Exhibition)」では、ポルトガル国内外から50代の建築家5組が招待された。その中で異彩を放ったのが、スペイン、マドリードの建築家ユニット、マンシーリャ・イ・トゥニョンによる展示である。模型や写真で表現されたプロジェクトが詰め込まれた14個のスーツケースと、プロジェクトの場所が印されたスペインの地図は、スペイン全国で展開する自身のプロジェクトへと誘う、ユニークな演出であった。
リスボン市民が今、最も注目する話題の一つに、リスボン空港の移転問題がある。「ランドスケープの展示(Landscape Exhibition)」では、現在の空港が移転した後に生じる巨大な跡地を「Urban Void」と捉え、国内のランドスケープ・アーキテクトから案を募った。その中で、リスボンのランドスケープ・アーキテクト集団PROAPによる提案は興味深いものであった。郊外に位置した空港跡地をリスボンの新しいゲートと捉え、滑走路を緑道に置き換えた新しい都市は、リスボンの将来に期待を感じさせる提案であった。
市内の他会場においても様々な展示が行われた。船舶に用いるロープの製造所であったコルドアリアでは、リスボン都市圏、ポルト都市圏をテーマとした展示が行われ、両都市圏内で進行中のプロジェクトを市民に紹介した。また、テージョ川沿いの電力博物館では、アルヴァロ・シザによる新旧およそ20のプロジェクトが展示され、ポルトガルを代表する偉大な建築家の作品に人々は改めて魅了された。
展示会場の外でトリエンナーレはどのように受け止められていたのであろうか。トリエンナーレでは、リスボンの「Urban Voids」を発見し、提案を行なうアイディア・コンペ「Interventions in the City」が行われ、入選したプロジェクトについて、建築家、自治体、市民の間で議論が交わされた。「Urban Voids」に選定された場所にはプロジェクトを説明するサインが建てられ、町行く人々にもトリエンナーレの存在をアピールしていた。
展示以外にも、数々のレクチャー、ワークショップが催され、イベント目白押しのトリエンナーレであったといえるが、各イベントの密度が必ずしも高かったとはいえない。しかしながら、今回のトリエンナーレがポルトガルの建築をアピールする場となり、定期的に国際建築展を開催する土台を作ることに成功したと言ってよいだろう。今後、第2回、第3回を開催していく上での課題は、リスボンで開催することの意義を再考し、新たな価値を付与していくことができるか、である。
トリエンナーレの会期中、昨年のプリツカー賞(※1)受賞者であるブラジルの建築家、パウロ・メンデス・ダ・ホシャのレクチャーを聴くことができた。ハツラツとした声が会場に響き、ユーモラスな話し振りが会場に活気を与えていたが、中でも次のフレーズに私は印象付けられた。
「宗主国と植民地の関係にあった国同士の中で、ポルトガルとブラジル両国ほどに良好な関係にあるところはないだろう。さらに言えば、ポルトガルほど二元的な国はないのだ。」
こう述べた彼は、ポルトガルが持つ両義性、二面性を鋭く指摘し、海の向こうの、かつて植民支配下にあった国々と今なお続く密接な関係こそが、ヨーロッパへ目を向ける中で忘れかけてきたポルトガルのアイデンティティであることを示唆したのだ。ポルトガルは、ヨーロッパ周縁の一地方国であり続けても、かつてその支配下にあった国々(※2)の中で、これからも中心に位置し続けるであろう。そういった国々に焦点を当てることも、ポルトガルの首都リスボンで国際展を開催する価値の一つとなり得るのだ。
※1 ハイアット財団から毎年一人の建築家に授与される賞。建築界のノーベル賞とも言われる。[↑]
※2 かつてポルトガルの植民支配下にあり、現在もなお密接な関係にある国・地域には、ブラジルを始めとして、アンゴラ、モザンビーク、ケープ・ヴェルデ、ギニア・ビサウ、インドのゴア、中国のマカオ、東ティモールなどがある。[↑]
(おわり) |