第1回リスボン建築トリエンナーレ2007 レポート
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ヨーロッパという神話と現実/志岐豊

今回は、各国の展示とは別枠で設けられた「ポルトガルの展示(Portugal Exhibition)」についてレポートしたい。「ポルトガルの展示」は、「ユーロヴィジョン」、「シネマ・ポルトゲーザ」、「ユーロニュース」の3つのセクションで構成されている。「ヨーロッパ」との距離に焦点を当てながら、1956年以降のポルトガルの建築を時系列に沿って、時代背景とともに紹介している。

「ユーロヴィジョン」では、ポルトガル国内でテレビ放送が始まった1956年から、ヨーロッパ共同体(EC)加盟条約に調印する1985年までの作品について展示を行っている。1956年から1985年の間には、現代ポルトガルにとって重要な歴史的転換点があった。1974年4月、ポルトガルは革命により、1933年より続いた「エスタード・ノヴォ(新国家)」と呼ばれる独裁体制に終わりを告げた。新国家体制の下、ポルトガルの建築におけるモダニズムは幾分時代遅れのものと自覚されており、リージョナリズムとポスト・モダンの間で揺れ動いていた※1)。

展示では、革命直後の住宅不足を解消するために設立されたSAAL※2)による住宅供給プロジェクト、植民支配下のアンゴラ、モザンビーク、マカオにおけるポルトガル人建築家によるプロジェクト、リスボン郊外のシェラスにおける大規模な集合住宅建設プロジェクトなどが紹介され、革命、植民地政策が建築界にも大きな影響を及ぼしていたことを示している。当時の歌謡番組の映像と、建築写真が並置された展示構成は、市民にとってヨーロッパが、未だ、ブラウン管に映るメイクアップされた歌手のように、実体のない虚像であったことを表現している※3)。

「シネマ・ポルトゲーザ」は、1986年にポルトガルがECへ加盟した後の、国内における4大公共投資をテーマとしたドキュメンタリー・フィルムである。リスボンに建設されたベレン文化センター(1992年竣工)、1998年に開催されたリスボン万国博覧会、ポルトガル全国に10のスタジアムを建設することになったサッカーの欧州選手権ユーロ2004(2004年)、そして、ポルトに建設されたカーザ・ダ・ムジカ(2005年竣工)の4つの巨大プロジェクトは、ポルトガルがグローバリゼーションの波に飲み込まれたことを示すものであった。当時のテレビニュース、新聞記事、そして竣工後の建築物の映像をコラージュした作品は、イベントを開催する必然性、当初の計画を大きく上回った建設コストなどに疑問を投げかけるとともに、EC加盟後、ポルトガルが加速度的に国際化し、経済発展していく過程を映し出している。

ポルトガルの建築が国際的な注目を浴び始めたのも同時期である。「ユーロニュース」は、1986年のEC加盟後から現在に至るまでの、ポルトガルの建築家による国内外16のプロジェクトの展示である。展示された模型の背後には、ヨーロッパ共通のニュースプログラムがリアルタイムで映し出されている※4)。EC基金の支援を受けながらプロジェクトが進むようになると、人々はポルトガルという一国の枠を超えた「ヨーロッパ」という枠を、現実感をもって意識し始める。さらに、ここで展示されたアルヴァロ・シザによるブラジル、ポルト・アレグレの美術館、ゴンサロ・ビルネによるベルギー、ルーベンのオフィスビル、ジョアン・ルイス・カヒーリョ・ダ・グラサによるフランス、ポワティエの劇場施設等のプロジェクトは、ポルトガルの建築家がヨーロッパ、世界に進出し、国際的な地位を獲得しつつあることを示している。

1974年の革命後、ポルトガルの政治、経済の重心がアフリカの植民地からヨーロッパへ移り始めると、建築の世界においても、ヨーロッパとの距離が意識され始めた。そして1986年のEC加盟後、ポルトガルの建築は国際化の波に飲まれ、一時の経済発展を象徴するシンボルを作り上げた。その後、芳しいとは言えない国内経済と相まって、ヨーロッパの周縁国ポルトガルが、再びそのアイデンティティを模索する時期に来ているが、アイレス・マテウス兄弟によるシネシュの文化センター、パウロ・ダヴィッドによるマデイラ島、カリェタの文化センターなど、国内にも若手建築家による優れた作品が生まれ始めている。アルヴァロ・シザを始めとしたポルトの建築家が注目された時代に対し、現在は、全国各地、きら星のごとく多様な建築家が活躍する時代と言える。かつて、リージョナリズムと国際化の間で揺れ動いたポルトガルの建築が、一つの解答を示しつつあるとも受け取れるだろう。

次回は、これまで取り上げなかった展示について触れるとともに、リスボン建築トリエンナーレの課題、そして展望について考えてみたい。

※1 1955年から1960年にかけて、当時の建築家協会の主導により、全国各地の建築物が調査され、1961年に『Arquitectura Popular em Portugal(ポルトガルにおける大衆建築)』が出版される一方、革命前後のリスボン郊外のシェラスには、ポスト・モダン調の大規模な集合住宅が建設された。[]

※2 SAALは、「Servico de Ambulatorio de Apoio Local(地域支援相談局)」の略で、1974年の革命後の劣悪な住宅供給事情の改善を目的に設立された。[]

※3 「ユーロヴィジョン」というタイトルは、ヨーロッパ各国対抗の歌謡コンテスト「ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト」に由来していると思われる。[]

※4 「ユーロニュース」というタイトルは、欧州各国の出来事をレポートする、同名のヨーロッパ共通のニュースプログラムに由来していると思われる。[]

(第4回へつづく。敬称略)

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「ユーロヴィジョン」の展示風景。
「シネマ・ポルトゲーザ」の一幕。
建設中のカーザ・ダ・ムジカ。
「ユーロニュース」の展示風景。
アルヴァロ・シザによるブラジル、ポルト・アレグレのイベレ・カマルゴ美術館の模型。
ジョアン・ルイス・カヒーリョ・ダ・グラサによるフランス、ポワティエの劇場施設の模型。
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