「Urban Voids」。これが今回のトリエンナーレのテーマである。12カ国が招待された「各国の展示(Countries Exhibition)」ではそれぞれの国が捉えた都市のヴォイドについて展示を行っている。今回はこの「各国の展示」についてレポートしたい。
「Urban Voids」というテーマからは様々なことが連想されるが、本トリエンナーレにおいて、それは、見捨てられた、利用価値のない空白地であり、都市の中心部あるいは郊外に存在する都市構造から切り離された場所、と記述される。そして、世界各地の都市が共有するグローバルな問題であると捉えられている。
アイルランドは、首都ダブリンを対象とした11のプロジェクトを展示している。短冊状に区画整理された後に生じた残余空間、都市がどれだけ拡大しても常に存在する都市周縁の空間、高速自動車道の高架下のようなインフラの陰となる空間など、都市のヴォイドを辞書的に網羅した展示となっている。それは、このような問題を抱える都市が世界に何千と存在しているだろうことを想像させる。
それに対し、オランダの展示では、アイルランドが示したような都市のヴォイドが存在したのは80年代半ばの状況で、アーバン・ヴォイドは既に埋め尽くされている、とオランダの都市の状況を説明する。都市と建築がかみ合った、いかにもオランダらしいプロジェクトの模型を展示して、都市は物質的拡大から内面的変容へ向かうと宣言する。
チリにとってヴォイドは異なるランドスケープの間にも存在する。北部の茫漠とした砂漠地帯から、「世界の果て」である南部の氷雪地帯まで、細長い国土という自国のアイデンティティを前面に出し、そのランドスケープの変容を建築プロジェクトとともに紹介している。
日本は東京を対象に、建物と建物の間に存在する小さな隙間から、東京の中心に巨大な森として存在する皇居まで、異なるスケールのヴォイドをリサーチし、提案を行なっている。フィジカルな物質としての建築物、都市に対して、ヒューマンスケールのアプローチを取ると共に、皇居というヴォイドに対して、社会学的な意味を問う展示となっている。
都市に住む人々に焦点を当てたのがメキシコの展示である。アメリカ合衆国へ大量の移民を送り込むメキシコであるが、移民をテーマの一つとしている。アメリカに不法滞在し、強制退去の不安に怯えながら、母国に「ドリームハウス」を建てることを夢見る人々。移民も都市に存在するれっきとしたヴォイドだと主張する。
中国の展示では、伝統的なクラスター型の集合住宅である客家で生活をする住民のドキュメンタリーとともに、その客家を現代的に解釈し、都市のヴォイドに設置するという提案がなされている。客家の円形をモチーフにした展示構成となっている。
カナダの都市は、川とともに発展した。普段、何気なく接している川には、様々な動物、植物が生息し、都市生活に潤いを与えている。壁に投射された映像の中では川の流れが延々と映し出され、その背後に都市の喧騒が聞こえてくる。限られた自然は、都市においてヴォイドであり、都市のサスティナブルな発展にとっての重要性を説く。
このように、「各国の展示」からは、それぞれの国が捉えた「都市の隙間」を垣間見ることができ、興味深い。開幕前、「Urban Voids」というテーマが、これほどまでに多様な展開を見せるとは、正直に言えば予想できなかった。モザンビークの展示における「我々の都市には空白地の方が大きい」というフレーズには、意表を突かれた。考えてみれば、都市における空白地、隙間と呼ばれるものは、建設行為によって生み出されるものであり、「Urban Voids」というテーマは、その都市の状況を隅から隅まで映し出す鏡であると言えるだろう。
次回は、「各国の展示」とは別枠で設けられた「ポルトガルの展示(Portugal Exhibition)」についてレポートする。
(第3回へつづく。敬称略) |