

1.わがゲストハウス・コロンボから150mのビーチ。午前中で客はなし。遠くに名門マウントラヴィニアホテルが見える。(撮影:遠藤悦郎)
2.コロンボアッパーサイド。典型的サーバントがドアをあけて屋敷に迎え入れてくれる。
3.コロンボアッパーサイド。街角地蔵のカソリック版。グロッシーなタイルと赤いビームライトが光りを放つ。
4.コロンボ宝石屋街。この奥に4つの宗教の寺院が鬩ぎあう。聖は渋く、俗は眩い。
5.コロンボラグジュアリーバス。空調の効いた暑苦しさ溢れる内装は、台湾で革ジャンが売れる感覚に近いロジックがある。
6.バワ氏の自宅の変遷と内観2点
7.このバワ氏のスケッチだけで契約完了。そしてスタッフも仕事に取り掛かれる。
8.バワ氏自邸前面道路の様子。左が自宅、正面がゴミ置き場、右の家も彼の設計。自邸最前部にはフラットスラブの屋上庭園がある。
9.バワ氏自邸エントランスからの空間。溶ける、、、。(元は道路だった)
10.バワ氏自邸階段室。60-70'sモダンにスリランカンクラフトのカウンター。このギリギリ感、素敵です。
11.バワ氏自邸食堂。彼の車椅子が手前に見える。サリーネンチェアーが美しい。
12.ゲストハウス・コロンボの裏庭に面した軒下テラス。設計、御宿泊、御取材等、御宿泊、ツアー等、お問い合わせはnagisa@sltnet.lkまで。(撮影:大堀伸)
多様なる実在、コロンボそしてジェフリー・バワ
遠藤治郎
スリランカ再着陸前
目の前のLCDモニターでは、あまりアップにならないやや濃すぎの踊娘達の中で、きゃしゃ、ソース顔、メラニン多めという三位一体で自分好みを満たす娘がそのまん中で水瓶を持ちながら歌い踊っている。それに反してこの機体のスチュワーデスは大柄で、性転換したオトナの男子のようでいて、はてこれは期待すべきか否かという不安と微熱に浮かされながら、僕はインド洋上空で幸せの窓際席で揺られていた。
この時既に僕は、かつてあこがれていた外国生活者というやつにオランダという国でなっていたので、毎度ながら外国機でSOBAを頼むという「禁じ手」への誘いはあったものの、やはりここは画像に合わせてカレーだろう、ということで「チキンプリーズ」と先程の妙に背中の広い大女に希望を告げた。ああ、やはり自制した甲斐がありそれはなかなか美味しい。画像視覚とレトルト味覚を満足させた僕は、いよいよ8年ぶりのスリランカへの上陸を目前にしていた。
住みはじめた場所
僕の家にはテレビはない。停電が1日5時間もあるから冷凍食品は1度も買ったことがない。家を出るともうビーチが見える。約150mくらいか。ここには電車が来ないときは歩道である線路が海岸に沿って走り、そこを跨ぐとそのまま黄金の砂を湛えるマウントラヴィニアビーチだ。ここにはよく冷えたビールを正装で注いでくれ、クレジットカードも使えて停電用の発電器も備えたバーレストランから、100円でライスアンドカレーと生ぬるい地場ビールを出してくれる店々までが交じりながら軒を並べる。どの店にしても店の前、というかビーチそのものに、世界標準の白い樹脂製のテーブルとイスを出し、夜にはロウソクを灯す。週末を除けば常に供給過剰で、独り占め、かつ独り寂しくジョニ黒も飲める。そして左を見れば創業1806年の美しい名門コロニアルホテルが数百メートル先に見え、左を向けば10キロ先に今だ健在のコロンボのWTCの超高層が2本霞んで見える。
アジアの首都でこうした天然の都市ビーチを持つところを他に僕は知らない。
そしてコロンボへ
ところで、ここマウントラヴィニアから実質的な首都であるコロンボの小渋谷的ブロックまでは、夜なら15分、昼間で30分、朝で最悪1時間という悪くない距離だ。そのコロンボから島の南方まで繋ぐGalleロード、いわば国道1号線は、おそるべき排気ガスと喧噪だが、そこにはエアコンが効いた朝早くから夜遅くまで開いている異様に綺麗なスーパーがぽつぽつとある。うちからはその一つまでほんの5分。街灯がろくにないのと計画停電(註1)のお陰で、日本のコンビニの半分の照明でその倍以上の体感強度を受ける。当然集客効率はいい。合理性というものが実に相対的であることを学ぶ。
コロンボアッパーサイド
コロンボも麻布・広尾的エリアにゆくと、家々の塀の高さは俄然高くなり、庭は巨大で、町中サーバントだらけだ。イギリスが残したであろう、生い茂る見事な大木となった街路樹は、昼の強い日差しを和らげ美しい光と色のコントラストをみせ、その居心地よさから3輪タクシーがどこでもその真下に群がり、その高級住宅街にアクセントを与える。月収5千円を下回る住み込みワーカーの数はランドクルーザーとBMWを並べる家主の数よりも実際遙かに多いので、宝くじ屋やタバコを1本単位で売ってくれるキオスクも、容易にここでも見つける事ができる。こうしたエリアでも計画停電は平等に実施されているので、その小ジェネレーションの普及率は日本など遠く及ばない先進度だ。閑静な住宅街に今日もエンジンの音がこだまする。
エンジンと言えば車、そして主インフラのバス
このコロンボの中央バスターミナル周辺は超バザールなエリアで、コーランの蔵書率は、この仏教徒70%シェアの全体からは完全凌駕していて、モスクも多い。またこのあたりを少し北側にゆくと、今度はタミール人中心街となり、多くのヒンドゥー寺院と改宗したカソリックタミールの集う教会とその各グッズを売る門前街が混じりあっている。宗教人種的多様性の観点を除いてだが、日暮里とアメ横と築地場外をくっつけて秋葉原電気街サイズに凝縮した感じのこのエリア、低層ながら全ての密度はこの国最大である。
これは自爆テロの発生回数も等しく含み、このエリア最南部の中央バスターミナルはつい最近までいわばそのメッカで、(バック)パッカー達はターミナル一個手前の停留所で降り、3輪と交渉するのが一般的なマナーであった。
ここのバスには時刻表がない。ある程度一杯になったら出発するという、通称「アラブ時間方式」がだれが決めたわけでもなく用いられ、効率の良い需要と供給のバランスが保たれている。僕が言うところのイチコク(Galleロード)を走るバスは、そのニーズから山手線を上回るピッチで幾らでもやってくるので大変ユーザーフレンドリーである。エアコン付きのマイクロバスが主流のインターシティーバスと言われるタイプは、通常のバスに比べ4〜5倍の価格だが、それでも終点まで3時間乗ってても所詮100円程度だったりするので、後部座席周辺は現地人のカップル喫茶化している。それは効きすぎるエアコンの温度を調節してくれるが、カーテンを全て閉め切って走るこの塗装の剥げたこれらのバスの外見は妙に怪しい。信頼のブランド、日本製であるを高らかに謳う「ひまわり幼稚園」と大きく車体に書かれたままの文字と、全てのバスがその如何に満席に近い乗客で何回1日に往復出来るかを競うハードなラリードライブとのマッチングは、「お先にどうぞ、ありがとう」と書かれたその背中にただらなぬ深みを与えている。過酷な使用の結果しばしばオーバードライブしたバスが、場所を選ばず乗客を乗せたまま路肩をピットに変える光景はこの街の懐の豊かさを象徴している。そしてこのフォーミュラーなドライバー達は、必ずと言っていいほど毛足の長いボアで車内を包み、己の信仰に応じて仏陀、シバ神、ジーザスらの電飾デコとマイコンピレーションのテープを、当然南方ビキナー旅行者の想像にはない音量でかけ、今日も走る。それは車間距離10センチでの高速走行。十字を切り合掌。
コロンボからコロンボの建築家の話へ
スリランカ人建築家Geoffery Bawa氏はコロンボに生まれた。僕が彼を知ったのは、10年以上前Mimerというアガカーン財団が出していたアジア/アフリカの建築を紹介する美しい雑誌においてだった。このバワ氏、つい最近このアガカーン賞を受賞したこともあって日本の建築界でも知った、もしくは興味を持った人も少なくないのではとおもうが、全体的には有名という意味においてのメインストリームの外に長らくいたと思う。それと対照的に、ここトロピカルアジア圏においては彼の名を知らない建築家はいないといってよく、スリランカでは一般人でその名前を知らないひとすらいないといっていい。その彼の家系背景は多混血系だが、それゆえか彼のスタッフもシンハラ・タミール・モスリン・バーガー(この国で白人との混血をこう言う)と常に幅がある。それはこの都市、さらにはこの国の縮図をみているかのようだ。
ここで生まれた彼は「いままで室内で食事をしたことは数えるくらいしかない」といい、「建築は体験(experience)するもので説明(explain)できるものではない」とあっさりと語り、饒舌で内省的であって、巨匠であってアカデミックな研究業績はゼロ。されど生まれながらに大富豪で元弁護士、そして30代後半からAAスクールにロールスロイスで通学し建築家となった、類型不能な「コロンボの独身者」だ。
彼はコロンボの閑静な住宅街に住んでいる。僕は9年前初めてここスリランカに訪れたのだが、その目的は彼の建築と彼自信に実際に会うことだった。いまは完全に引退療養生活となってしまったバワ氏だが、その時はまだ遠い敷地にも自ら現役として車椅子に乗りながらも赴いてた頃だった。彼の数多くの物件を体験出来た事はいうまでもないが、加えて彼とその彼の自邸で多少なりとも話をすることが出来たことは、自分にとって本当に幸運なことだったと今思う。それがなければ、僕は今この国に暮らしていなかったかもしれない。それだけこのコロンボの自宅は僕にとって特別な意味をもっている。そしてその背景と事実を知れば知るほど、僕はそれ本来の意味と出会うこととなったのである。
彼にとっての図面
彼の本などで見る美しい図面は、全て物件が出来上がったあとに彼の友人の画家などが描いたもので、彼の事務所にはまとまった竣工図がない。その都度描き起こされ変更を重ね、建築が出来上がってゆく中で消えてゆく。この自宅の図面もあとからそうして出来たものの一つだ。施主との打ち合わせに至っては5mm方眼紙に描かれた1/100の手書きの平面図のスケッチのみで、模型もパースも出てくることもつくられることも希だ。ただその出来上がってくるだろう建築の物語を、アーサーC.クラーク(註2)も舌を巻く饒舌な英国語で施主に語り、その施主の胸に空想空間を刻み込むことで契約を成立させ、結果、造りながら変化してゆく建築という自由を確保している。彼の物件はコンセプト文もダイアグラムもないまま、建物ではなく建築として出来上がってゆくのである。
バワ氏自邸の出来るまで、そして出来上がった質
彼の自宅の話をしたい。5分と歩けば排ガスと騒音そして街路樹もない悪名高いゴールロードだが、ここは殆ど桃源郷のようだ。ことにそのヒューマンスケールで迷宮のようなここの成り立ちは、もともと4軒の長家住宅だったものを合体させた上、それらに接道していた道路を呑みこんで増築することで出来上がっている。まさに工期10年におよぶその成り行きの設計は彼の才能を如何なく表出させている。
'58年にまん中の2件(B,C)、そして'58年〜'68年の間に一番奥(A)、そして'68年に最前部(D)を買い、ここのみは既存の瓦屋根を壊し3階建てとし、結果専用道路となってしまった前面道路(E)の使用許可をお上から取り付け、(D,E)には新規に陸屋根を掛け一応の完成を見た。ちなみにこの今は無き道路は、最新地図上でも今も残っている。半合法スクワッド。そしてさらにここで彼は、向かいの家(F)も実は設計ししてしまい、その残された最前部の前面道路(G)にはペーブメントを施し、上手に美しいゴミ置き場まで道路上の突き当たりに設けててしまっている。こうした都市の私物化の結果、敷地境界までどうなってるのかよくわからない不思議な印象がそこにはある。
この希にもない私物としての建築家自邸は、前述の施工期間のみならず設計内容の背景となる歴史や様式までも折衷を極めている。それはフューチャリスティックな曲面の白い階段と現地のアーティストによる鍛金装飾のドア、濡れたような光沢塗装の白い床に沿って置かれる自然石、オランダ植民地時代のアンティークの柱に地場の素焼きのタイルの床、そしてその上には樹脂製のサリーネンチェアーといった具合に。しかしそれらは実にしっくりとそこに落ち着きいまも不調和を起こしていない。
それゆえここでは建築本体としつらえの区別をすることは難しい。それは何処までが設計行為なのかを判断できない状態。それはイズムの魔法の外にある。
加えてこの自邸、全館エアタイトがされていないこともあるのだが、何処が室内で何処が外部なのか、屋根のない室内、壁のない屋内、緑の浮かぶ池のある室内といった具合に、あらゆる分類もばからしい程それらは錯綜している。
ちなみに、ここでのあらゆる空間は矩形的な部屋ではあるのだが、それらを独立した部屋として感じる事は実は難しい。あらゆる開口部においてオープンエンドなフレーミングが断連続的に設けられ、視覚的にも導線のシークエンスとしても常に「その先のなにか」に紡がれているからである。それゆえ場所々々でそのひと部屋と見なせる空間は変化してゆく。これは空間だけの話ではなく、前述したそのちりばめられたあらゆるニュアンス含みのしつらえが、多様性がもたらす逆説的安定をここを訪れる人にもたらす。それは、こうした穏やかでありながら重層された情報量が、批評家風にホワイ?となにか一つを切り取ってその論理的ヒエラルキーを問う事を忘れさせるのだ。
それは分けることと繋ぐ、統合とカオスの絶妙なるバランスがここで止揚されていることに他ならない。
そしてこの建築家の物件は、ここにある折り重なる様々な時間によって、豊かな経年変化を受容し美しく歳をとりながらも常に新鮮であることを、論証ではなく実証しているのである。
カオスを殺さずにそれを美としてあぶりだす。
コロンボに生まれたこの遅咲きで多作な建築家は、それを知っていたと言える。
コロンボの郊外、マウントラヴィニアから
毎晩2時間半の停電のなか、ロウソクに火をともし、朝は涼しいうちに渚を裸足で歩き、家に戻りメールのチェックをすまし、ミルクティーを飲む。晩の味噌汁の為の下ごしらえをしてから、粉塵と灼熱のゴールロードへ登り1区間5円のバスで大学へむかう。寝坊したときはインド製の3輪に乗り込み、密輸タバコをドライバーの兄ちゃんに1本渡しちょっとだけ値切る。大学では、20台ものPCがありながら、タイポグラフィーまで美しい100%手書きの学生達ドローイングで目を癒し、一杯5円のミルクティーを学食で啜り、左手で携帯のショートメールをチェックしながら、カレーを右手で食べる。
そして、マウントラヴィニアビーチに程近いわがゲストハウス・コロンボにゲストが来るときには、共にダウンサウスにあるバワ設計のホテルに通常の半額の現地人割引価格で泊まりにゆき、エッジが海に解けるプールに浮かぶ。
僕はこの暮らしの「設計」に満足していることはいうまでもないが、それはここが多様な質をもった生きた場所だからだ。ここはそうした都市の一つだ。
建築は如何にその多様な質を切り落とさずして、紡ぐことが出来るかというバランスの中に現われる。そうしたリアルな美を追求してゆきたい。
僕はまだこの場所を離れるわけにはいかない、次の渚をつくるために。
あとがき〜私的妄想として
僕はトロピカルアジアに建築を建ててゆきたい。というとてもシンプルな夢を持っている。ふるさとトウキョウはいつだって僕の生まれた都市だから、いまもこれからも愛してやまない。だからそれは僕の中で、遠くも親しい存在だし、だからいろいろなことをやってきたし、これからも死ぬまで楽しくつき合って行くだろう。3年居たオランダだってもはやもう一つの故郷だ。でもまだ愛するアジアの南ではなにも始めていない、だからその下地を作り始めた。その最初の起点がここスリランカなのだ。
思えば近代の巨匠達の新しい建築への憧れの源泉は、常に南にあったのではないか。冬を持つ北の風土にそうした近代の建築が真に適合してきたかは実際、疑問なところだ。それでも光と外気を求めて新しい建築を模索した北の建築家達。南の建築はリージョナルな建築としてくくられ、南を志向した北の建築はインターナショナルとしての地位を得た。北の叡智を取り込みつつも南そのものに呼応した建築を造ってきたバワを僕らはなんと呼べばよいのだろう。定義という呪縛の外の建築家である彼を。
コロンボそしてバワから学ぶことは多い。
追記)
今回の「都市の渚」はこの第4回のみ元々の編者である遠藤治郎は筆者役へ、そして編者としてこの"eyes on the world" の五十嵐太郎氏のページで筆者であった、葛西玲子氏に編者解説(コーディネーターズノート)をお願いしました。
あらためて謝辞を述べたいと思います。 また今回の原稿についての多くのメール対話につき合って頂けた多くの友人達にも、この場をお借りして同様に感謝の意を表します。
*Special Thanks for Arch. Channa Daswatta, Lunuganga Trust and Mr. Bawa's secretary
Ms. Janet.
| 註1) |
今年の計画停電は5月15日にやっと休止になりました。<本文に戻る> |
| 註2) |
アーサーC.クラーク / 1956年から現在もコロンボに在住。「2001年宇宙の旅」の著者。バワ氏よりも2歳若い。彼は宇宙に最も近い場所としてここに住む。<本文に戻る> |
profile
遠藤治郎(Jiro Endo)
| 1966年 |
東京生まれ。建築家。 |
| 1991年 |
武蔵野美術大学造形学部建築学科卒、(株)アールアス設計工房勤務 |
| 1995年 |
(有)インテンショナリーズを大堀伸、鄭秀和と共に共同設立
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| 1998年 |
同社辞職後、guesthouseを遠藤幹子と共に設立。
同年オランダへ移住。事務所名をguesthouse-Amsterdamと改称。 |
| 1999年 よりベルラーヘ・インスティテュート在籍。 |
| 2001年 |
引越にともない事務所名をguesthouse-Rotterdamと改称。 |
| 2002年 |
1月より国立モラトワ大学建築学部建築学科研究室名誉助手兼Guest Lecturerとしてスリランカへ赴任中。コロンボ郊外はマウント・ラヴィニア市にguesthouse-Colomboを設立。 |
guesthouse渡蘭後の物件としては
コーネリアススタジオベランダ改装〜東京都目黒区、
ラフォーレ原宿ショップカード什器〜東京都渋谷区、
ギャラリーロケット新築工事/大堀伸(general design)と共同〜東京都渋谷区、などがある。
オランダでの実施物件として、教育的インターネット端末機能を含む自動販売機改造設計監理および一部施工。これはVlaardingen市Holy地区にある図書館兼中高等学校に設置、発注者はオランダ人メディアアーティストのMerel
Mirage、現在稼働中。
またアムステルダム市内にある、オランダ型家庭菜園団地(Volkstijn)内の監理施設建物の全面改修の設計を前々回の執筆者の鳴川氏と共に手掛け、最新案は遠藤幹子が進めている。竣工は来年の予定。
現在スリランカにも中層物件を設計中で同時にタイでの新プロジェクトも現在準備中。
執筆歴としては、「新建築」'01/2月号、「スタジオボイス」No.299,300、「リラックス」No.45,46(案内猿として)、「住宅特集」'02/7月号、「SAL
magazine」No.5など
また'01末まで「建築知識」毎奇数月号にオランダ通信(DHL/ダッチホットライン)、現在は毎月「スリランカ通信」を連載中。
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