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参考資料1 相談芸術ホテル-----究極の簡易ホテルを求めて
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「相談芸術ホテル」とは、以前から、わたしが行ってきた「相談芸術」(注1)というコンセプトで、ホテルを作る試みです。それは、実際観客が滞在するという体感型の作品です。加えて、すべての観客には、ホテルの内装・外装、調度品、サービスなど、このホテルをより理想的な空間にするにはどうしたらよいかという相談が持ちかけられます。宿泊客=観客には、あらゆる改善点を提案してもらい、ディスカッションしてもらいます。その結果
をまとめ、3,4週ごとに集計し、それらを元にホテルの全てが変わっていくのです。要するに観客のリクエストにコミットした改装、改善をしながら3,4週ごとにホテルが変わっていくということです。
このプロジェクトのスタート地点として、私は、日本固有のカプセルホテル(注2)をオープンします。この合理的かつ極小の空間は、簡易ホテルとして、現代の日本の都市部において成立しています。あえて、このようなものを文化背景も生活様式も異なる国に持っていき、それが観客の意見によってどのように変わっていくのかというのは、大変興味深いところです。
注1)相談芸術:作者の考えを一切入れることなく、第三者のアドバイスにしたがい、制作を進めていくこと。しかしこれは、連鎖的にたくさんの人と相談をするため、永遠に未完成な作品だ。わたしが、美術界の閉鎖性や、多くの人たちが美術に無関心であるということを痛烈に感じ、'91年より開始。これまでに、ペインティングの他、映像、パフォーマンス、カフェなど、あらゆる表現方法で実践している。
注2)カプセルホテル:日本の都市部に多くある簡易宿舎。一部屋は、人がようやく眠れるぐらいのサイズだが、室内には、ラジオ、テレビ、読書灯などがあり、プライバシーも守れる明るく清潔なカプセル状の空間だ。このホテルが日本に定着した原因には、土地代の高さ、最終電車を逃してまでも働くサラリーマンが多いなど、都市が抱える多くの問題が考えられる。
参考資料2 醤油画資料館未来構想模型の為のシナリオ(一部抜粋)
70年代初頭に出来たこの地元資本のRC造の建物は、当時想定商圏的にはやや大きすぎるボリュームを持ったショッピングセンターとして登場した。その為、オープン後まもなく直撃したオイルショックによって経営が悪化、大手に吸収の憂き目となる。元来ほぼ核店舗不在のまま見切り発車したこのビルは、逆にこれを機に全国チェーン店を持つことによって大商圏域からの集客を獲得しだし、事業的に再起を果
たす。
80年代に入り、通産省系財団への政治的、資金的パイプづくりにも力をいれたことによって、周辺敷地の買い占め工作に乗り出し、将来の2核ワンモールタイプの超大型ショッピングセンター計画を推進。既存建物裏側に以前駐車場として使用していた土地にALC鉄骨造2階建の別
館を増築し、その後の売り床面積の拡大への中継ぎを図る。また国道側のファサードを人造大理石と鏡面
ステンレスでリフレッシュ改修した。
90年以降、ようやく計画予定地の90%を入手した頃、バブル経済が崩壊。主敷地の一角を占める出島のようなヨド物置を備える抵抗民家は、自走式立体駐車場の騒音などに甘んじながらも地上げからは解放された。実質的な経営者であった大手スーパーは、半数のテナントの消滅もあり先行投資回収の為、道路の反対側の土地は全て手放し、近隣はマンション、ファーストフードなどの業者に買収された。そして、ついに経営統括権は創業者に禅譲されたのである。
元来、地場産業である醤油製造業を本業としていた創業者は、廃墟化していた4階フードコートと屋上の再生と町おこしを賭けて、個人コレクションとして秘蔵していた醤油画に加え、醤油画のコレクションで最大のシェアを誇るオランダより買付け、ここに世界初の醤油画資料館をオープンした。
現在、パリルーブル美術館秘蔵醤油画展と合わせ、全館フランスフェアを開催中。
また一階はパチンコ店が入店予定で現在改装準備中である。
※RC造・・・鉄筋コンクリート造
※商圏・・・来店対象とする消費者の生活エリア
※2核ワンモールタイプ・・・70年代に主流となったショッピングセンターの配置計画で、大きな集客力のある大規模店舗を繋ぐようにに小売り店舗群をモール(商店街)を置き、両者の弱点を補い合う。施工例:船橋ららぽーと他
※ALC鉄骨造・・・日本全国で最もポピュラーな現行法規に適合した安普請建築工法の一つ。
※人造大理石と鏡面ステンレス・・・日本全国の商業施設で見られる、最もポピュラーな化粧仕上の一つ。
※ヨド物置・・・日本を代表する、カラー鉄板による屋外物置。
※フードコート・・・sc内の屋内型食堂街。うまい店確率は低い。
おまけ
小見出し2発。
これは建築というものが、時代の変化を超えて建ち続けてしまうことがあるという宿
命と、そこから現れる歴史そのものではなく、喜怒哀楽を見ようとしたものである。
この建築(模型)は、いかに架空の創造的な設定と細部を豊潤としながら、極ドメス
ティックな(日本)全国的なリアリティーをグローバルな他者に感じさせ得るか?と
いう試みだった。
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