思うにこの日記の内容、極めて今日の建築家の追い込まれている状況に近いとは言えまいか。
現代においては常に現実の方が早い。で、それをリサーチして再構築しては、非構築だとか脱構築だとかデザインでないとかいったりしている。そしてその際建築の歴史のリファレンスを絡めることがマストと考えられている。それはそれで建築村の住人が納得するからである。西欧において積み重ね、改訂されつづけなければいけないとされる「定義」のシステムの旗の下、「建築家」は存在している。
さて、このシリーズの編者として、この第一回の原稿依頼は、ロッテルダムー東京間での往復書簡形式から様々な自問自答を交わしながら始めた。そして東京での再会は向ヶ丘駅前だった。世界を廻る前に、この旅を始める場所は住み慣れた日本からが良いと思い、それならばと小沢氏に頼む事にした。

ここで彼、小沢剛が何者かに多少は触れなくてはならないだろう。
まず彼は美術家である。
都市や建築に関与する嗜好を持っている。但し、常に日本中産階級的表現を心がけている。
結構、現代美術界では世界的に既に著名で、マイレージの貯金も悪くない。
最近、初の作品集「小沢剛世界(ワールド)の歩き方」を出した。装丁は「地球の歩き方」形式としている。

とりあえず4行でかけばこんな感じか。

彼の代表連作の一つに相談シリーズというものがある。
相談芸術大学(水戸芸術館/1995) 相談芸術カプセルホテル(受付:東京オペラシティーギャラリー&客室:SOPH/2001予定)
いずれも作者の意向が常に他者によって修正されていくシステムをもち、極めて職業建築家的職能を演じつつ、マーケテングの手法を反転させながら、あるリアリティーをつくることが目論まれている。このうち、北欧の某都市に制作することが構想されていた相談芸術ホテル(参考資料1)について、彼が書いたテキストがあるのでそれを参考までに付ける。


彼、小沢とは元々友人ではあったが、「醤油画資料館」の仕事が契機で一気につきあいが深くなった。
そのことにも触れておこう。
「讃岐醤油画資料館」施工協力(鎌田醤油株式会社内/1999)
「醤油画資料館」内装設計施工(上野の森美術館横東宝チェリー2階/1999)
この3つのプロジェクトに上記の形で関わった。いろいろ書きたいところだが、このうち最後の「醤油画資料館未来構想模型」に関してここでは触れる。またこの模型製作の為のシナリオ(参考資料2)はリンクで興味のある方は見てほしい。(共に執筆遠藤、作品集「小沢剛世界の歩き方」に寄稿)


「醤油画資料館未来構想模型解説」
「建築」は計画され、それが如何に正確にできるよう監理され、建設される。そして「建築」と名のつくいわゆる名作は、その姿を極力変えないよう保存される。こうした西洋的「建築」は美術同様日本に輸入されてはいるものの、現実の経済や文化的気質上、そういったものを探すのはなかなかに困難である。それゆえに、多くの建築家はこぞって、「建築」を造ることを夢見るが、たとえその建物が「建築」として変わらぬ 姿をしていても、50センチ横には「むじんくん」【1】ができ、イオニア式【2】のカラー鉄板の柱を張り付けた住宅が現れ、高速道路が前を横切るのがこの国の掟である。
 この模型の制作は、小沢から送られた一枚のスケッチと「イナカのテーマパーク+ダイエー【3】」という言葉から始まった。ここには具体的な住所も図面 もなかったが、何をすべきなのかを即了解する事が出来た。それは「美術」が白い箱の中でのみ鑑賞され、延命装置付きの部屋で保存され続けるのに対して、増改築という「建築」を小沢が目指していると思う故である。こうしたリアリティーを「建築」することは意外と難しい。歴史的なディテールや背景を押さえつつも、その実現の為に、伝統的(?)な誤用、誤解、誤算は重要な行為である。それらの中にこそ文化が発生するとも言える。ここではそれぞれの転用されるモノ・コトの広大なる背景を持ち込もうとした。喜怒哀楽あふれるネガポジオールインワンのリアルな存在。これはまさに小沢と共に創った未来構想の為の記録なのである。

【1】むじんくん……その場でノンバンクの高利貸しと無人契約を可能とするキャッシュ・ディスペンサーのある小さな部屋。
【2】イオニア式……古代ギリシャ建築の様式。西欧の文化を取り入れながら、オリジナルとはほど遠いものと化していく状況が日本のあちこちで観察できる。
【3】ダイエー……大手スーパーマーケット・チェーンのひとつ。駐車場を有する大型のスーパーマーケットは郊外の典型的な風景。


以下、小沢は語る。('Jizo to Jiro'交換日記より一部抜粋)

>> これですね。日本人が本来持っている美意識が、ちょっとした間違いで、変なベクトルに流れて、意味不明な、非合理とも言える世界を創り出してしまったということでしょう。
>> 美術という場で、検証してみましょう。
>> ここ何年か考えていることですが、国内的、地域的、あるいは家庭的な問題をとこと
>> ん突き詰めると、グローバルと言うか人間の問題になってくると思います。まさに今
>> 回の模型はその事が体現出来かかっていると思います。実際、売却先はフランスの片
>> 田舎の美術館(Collection Lambert, Avignon)と言うことも裏付けてるでしょ?


大分遠回りをしたようだ。 しかしながら、「寄り道は近道」という座右の銘を掲げる編者としては、これも必然と考える、ご容赦。

今回の小沢の日記はある段階の気づきをしめしたことで留まっている。
結論なしというやつだ。
しかし彼の直感的記述の中から、「生きている場所」への希求が感じ取れまいか?
ここではそれ以上の感想はあえてしないことにしたい。
それはまだこの1年間の旅の第一歩目だからだ。

例えばどこかの都市に旅の途中たどり着いたとしよう。とりあえず時間は1日ある。バスでついたので、ちょっとセンターから外れたバスターミナルが起点。で、買ってしまったチケットの関係上、結局そこに夜までに帰ってこなければならないことにしている。同じ境遇の人間が8人いたとして、都市の姿はそれぞれが知りうる形でしかないが、いずれにしろ一周して帰ってきたとき一つその像は出来上がることになる。こうした自分と対象との間でできあがる像を入手もしくは更新するのが旅にほかならず、リアルに知り得た都市の姿なのだ。
それは時間に沿って進まざるを得ず、その都度同じ場所、似た経験、よすがとなる考え方により、その像は帰って来たときにようやく結ばれる。建築と都市をさまよいワンアンドオンリーな旅を造りだす企図なのである。
同じ場所に帰ってきたときすでに同じでない場所と人、そして出来上がる新しい目。
毎回生じる連続性とギャップを織り交ぜながら、幅・深み共に見せれたらいいなと思っている。

この旅のコーディネーターとして、己の勘を信じて今日の出発点に帰ってくることを目標に出来る限りまで遠くの世界までいってみたいと思う。



profile

遠藤治郎(Jiro Endo)
1966年 東京生まれ。建築家。
1991年 武蔵野美術大学造形学部建築学科卒
(株)アールアス設計工房勤務
1995年 (有)インテンショナリーズを大堀伸、鄭秀和と共に共同設立
1998年 同社辞職後、guesthouseを遠藤幹子と共に設立
同年オランダへ移住。事務所名をguesthouse-Amsterdamと改称。
1999年 よりベルラーヘ・インスティテュート在籍。
2001年 引越にともないguesthouse-Rotterdamと改称。 兼業育休主夫。
2002年 1月より国立モラトワ大学建築学部建築学科研究室名誉助手兼Guest Lecturerとしてスリランカへ
1年間単身赴任中。guesthouse-Rotterdamに加えguesthouse-Colomboを設立。

guesthouse渡蘭後の物件としては
コーネリアススタジオベランダ改装〜東京都目黒区、
ラフォーレ原宿ショップカード什器〜東京都渋谷区、
ギャラリーロケット新築工事/大堀伸(general design)と共同〜東京都渋谷区、などがある。
現在オランダでの実施予定の小物件も進行中。
その内の一つとして、教育的インターネット端末機能を含む自動販売機改造設計監理および一部施工の物件がある。Vlaardingen市Holy地区にある図書館兼中高等学校に設置、発注者はオランダ人メディアアーティストのMerel Mirage、近日公開予定。
またアムステルダム市内にある、オランダ型家庭菜園団地(Volkstijn)内の監理施設建物の全面改修の設計を今回の執筆者の鳴川氏と共に手掛け、2002年内に施工が始まる予定。

執筆歴としては、「新建築」2001年2月号、「スタジオボイス」No.299,300、「リラックス」No.45,46(案内猿として)ほか。
また「建築知識」に2000〜2001年にかけては毎奇数月号に「オランダ通信」(DHL/ダッチホットライン)を連載。また2001年1月号より毎月「スリランカ通信」を連載中。



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