葛西玲子(今回のみ遠藤治郎に代わって)


個人的な渚の体験

のっけから私的な話で恐縮だが、悪夢のような一年のはじまり、阪神大震災の直後から、オウム真理教の地下鉄サリン事件がおきる直前まで、私はスリランカを放浪していた。
20代を欧米で万年学生とピアノを弾くことを職業として過ごした挙句にドロップアウトして、これから何をしていくのか、何がおきるのか何もわからないままあてもなく出かけたその旅。小川で沐浴をし、右手でカレーを食べ、左手でお尻を洗い、木陰のハンモックで昼寝をし、夜の潮風に吹かれてアラックを煽り、蚊帳の中から透けて見える天井を這うヤモリを眺めながら眠りについた日々。
その後5年間東京に拠点を戻し、現在は、トロピカルな気候風土でありながら世界一寒いといわれる「エアコンシティ」、合理と統制の人工都市国家・シンガポールに拠点を移している。飛行場から中心地まで20分という利便性をフルに生かして、変貌をつづけるアジア各都市のナマの息づかいを、そこの人たちと共に仕事をし、呼吸することで内側から体験し、理解したいと近隣国への移動に追われる毎日だ。日常のペースはかなり速い。
中国諸都市を中心に、メディアの色眼鏡を通してドキュメントされるアジア都市の光景は、それ自体がもはや何の意味もなさないほどに、変貌自体がすでにあっさりと日常として受けられているのが現実のように思う。気がついてみると何かが変わっている、という感覚。

そのスピード感を考えるとき、最近7年ぶりに訪れたスリランカが、ほぼ以前と同じたたずまいで迎えてくれたことにある種の幻惑すら感じたものだった。スリランカは、激変する「アジア」アーバニズム議論の蚊帳の外にある。長年にわたる民族間紛争で悲しい血が流され続け、ようやく和平の兆しがみえるが未だ予断を許さないアジア南端の「光り輝く島」。離れていると、報道を通した一発触発の緊張したイメージが一般的だが、日常は拍子抜けするほどに至って温和に感じられる。
シナモン交易をめぐってポルトガルからオランダへ、そして一大紅茶プランテーションをつくりあげたイギリスへと時期を追って統治者が変遷したスリランカは、権力に翻弄され流入する文化を許容しつつ、寛容で穏やかな笑みを守り続けている。
いまや「グローバリゼーション都市“文明”の指針」と化したスターバックス・コーヒーはまだない。


ジェフリー・バワの偉大

さて、この国は遠藤氏が引越しをするきっかけとなった建築家・ジェフリー・バワを生んだ。国民的英雄だが、欧米的な理論を中心とした建築論からも、またそれに準ずる今日的アジアの建築論からも外れているために、彼の国際的な評価と知名度は低い。
しかし、「ジェフリー・バワの住宅は、おそらく私がこれまでに体験した最も美しいものだ。そこにあるすべてのものがニュアンスを持っており、それすべてを私たちは享受することができるのだ」とチャールス・コレアが言うように、ホテルや住宅、学校や国会議事堂といったバワの数々のプロジェクトに触れた経験のある建築家たちは、ほぼ例外なく彼の仕事に最大の賛辞をささげている。
また、世界を圧巻する究極のリゾート、アマングループの会長エイドリアン・ゼッカ氏が、そもそもの発想の源をバワが70年代にバリ島で手がけた高級住宅開発プロジェクトに触発されたといえば、そして、今日の「バリ・スタイル」のムード仕掛け人・立役者といえるデザイナー・マデ・ヴィジャヤが、自らをバワの後継者と豪語しているといえば、バワの築いた語法がいかに今日の赤道地帯の最も洗練されたツーリズムと建築様式に影響しているかを理解してもらえよう。


渚と幸福の建築、その定義

現在83歳のバワ氏は、残念ながら2度にわたる脳卒中のために、再起不可能の車椅子生活となっている。私たちが彼と会話をする機会はもう永遠に訪れないことは確実なのだが、もともと彼は「建築は語るものではなく体験するもの」を貫き、多くを語ることをのぞまなかったようだ。
私は遠藤氏が一貫して追求している「渚」を、「変化しつづける空間、あるいは変化を許容する空間、雑多なものの混在がバランスよく調和した状態」と解釈しているが、バワの自邸が賞賛されるのは、この小空間にながれる渚が来訪者の琴線に触れるからに違いない。4棟の小さな住宅が、あたかもそれ自体が完結した都市のごとく、どこが外でどこが内かわからないようなコリドアと小部屋の連鎖が生み出す迷宮空間。集約された都市の渚がそこに介在する。
ビジターは紙芝居をめくるかのように、一歩すすむごとに展開する空間に目の快楽を覚える。ある意味では日本庭園のシークエンシャルな空間展開に似ているともいえるだろう。
そこには公と私、内と外、動と静、光と影、西と東、聖と俗、そして可変と永遠の空間の魔術がある。
「幸福の定義について哲学者たちは古来いろいろと理屈をならべてきたが、実例を出すという一番わかりやすくて簡単な方法をとった者はいない。たぶん哲学者たちはあまり幸福ではなかったのだろう。ぼくたちはみんな幸福な人間と知り合いになりたいと思っているのだが。」
(池澤夏樹  ジェラルド・ダレル「虫とけものと家族たち」 解説より)
バワ氏のプロジェクトをたずねながら上記の言葉が思い出され、頭でなく身体で、服の上からではなく皮膚で建築や空間を感じたいのだと心が欲していることを再認識した。ここで語られる「哲学者」を「建築家」とおきかえてもいいと思うくらいだ。


渚の再生にむけて

今、私が移動する多くのアジアの都市では渚の破壊が進行している。都市の発展とは渚を解体する作業であり、それが失われてはじめて私たちはまたそれを取り戻そうと、今度は人工的な渚の再生を試みる。それは今、一部の日本の若い建築家・デザイナーにも読み取れる。彼らは破壊される渚を傍観しながらも、都市のなかの新たな渚つくりにむかっているように感じられる。その設計姿勢が、ジェフリー・バワの示す渚にいつしか近づくことがあるだろうか。
私たちの国がもし、経済理論上、そして歴史的必然から(限定された)アジアの諸都市の今日的発展の最先端を走ってきたとすれば、今私たちが新しい方向として模索することのできる姿勢とその回答は、もともと私たちが育んできた無意識の渚の理論のなかにあるのかもしれない、と夢想のうちにかんがえる今日この頃だ。


つけたし

この原稿を書き終えたバンコクで、この都市の中の渚を形成しており、ランドマーク的存在であったサイムインターコンチネンタルホテルが、老朽化による経営不振を理由に数日後(6月いっぱい)35年余の歴史を閉じることになった。
孔雀やあひるが我が物顔で闊歩する庭、都心にここまで広大な渚を持つホテルを私は知らない。 一歩踏み出せば、そこは若者でごったがえす繁華街。ホテルのあとには、同じ一族が東南アジア最大規模の高級商業施設を作る予定で、パリ・LA・東京などから著名デザイナーが結集してコンセプトデザインが現在進行中である。

註) この第4回のみ元々の編者である遠藤治郎は筆者役へ、
そして編者としてこの"eyes on the world"の五十嵐太郎氏のページで筆者であった、
葛西玲子氏に執筆を依頼した。/遠藤治郎


profile
葛西玲子(Reiko Kasai)
1963年東京生まれ。元ピアニスト。ライター、コーディネーターなどを兼業。桐朋学園大学音楽学部を経て、米国ニュージャージー州立ラトガース大学芸術学科音楽修士課程終了。その後ブダペスト(ハンガリー)などに住み、東京に戻りライティング・プランナーズ・アソシエーツ(LPA)に勤務し「照明探偵団」のイベント企画や海外プロジェクトに携わる。
現在は、LPAシンガポール事務所代表も勤めながら、各メディアへの執筆、日本とアジアを結ぶさまざまなプロジェクトに奔走している。 謎のアスパラガスの研究も細々と続行中。
また、ジェフリー・バワの紹介を日本の雑誌等のメディアで行う準備の真っ最中。



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