| 建築写真 |
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このレクチャー・シリーズでは「建築写真」という言葉が複数の出演者から語られている。第2回の畠山さんのレクチャーでも、一般にイメージされている狭義の「建築写真」、畠山さん自身がとらえているもう少し広い意味をもった「建築写真」、という2つの概念が挙げられた。
狭義の「建築写真」とは建築家の作品を撮った写真であり、極端な例として、水平垂直を完璧に出し、人も感情もいれない類の、いわゆる「ザ・新建築」的 な建築写真がある。
今回のシンポジウムで語られた「建築写真」は、いずれも狭義の建築写真であるが、「ザ・新建築」的な建築写真と比較しながら話がなされた。
新津保さんは、住宅メーカーの仕事をした時のことを“建築写真1000本ノック”と呼んでいる。つまり、水平垂直を完璧に出さないとOKが出ない。「簡 単なようで、水平垂直を出すのがものすごく大変でした」と語る彼は、その後、新建築の写真の見え方が変わった、という。
このエピソードが物語るように、建築写真はかなり特殊なテクニックにより要請にこたえているものであるが、建築家にとっては非常に大きな存在である。
建築家にとって建築写真は図面に近い存在であり、パースや模型と共に、自分の意図を伝えるツールとして機能している。
そのため建築家は、設計意図を明確に表現する為に、建築写真において、輪郭や外形、構成を的確に捉えることなどにより説明を試みる。しかしいわゆる狭義の建築写真では捉えきれない部分にも建築の魅力があるは確かなことで、建築写真の中でその部分を表現することを、この展覧会では建築家、写真家の両方の視点を通して模索しているといえる。 |
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| 見えないもの |
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では一体、建築家、写真家は写真になにを見ようとしているのか、少し強引かもしれないが、各々のことばを短く抜粋してみる。
「建築の周囲で起こっている現象(原田氏)」、「空間にたたずんでいる音や空気の層といった様々なレイヤー(新津保氏)」、「建築と人間の威圧的でないフレンドリーな関係性(中村氏)」、「人の中にある情念などの奥深いもの(新氏)」、「足の裏で感じている温度みたいなものをたどる(ヨコミゾ氏の考える鈴木理策氏のスタンス)」、「人の存在による場面の発生(井坂氏)」、「撮る人の目でしか見えないもの(田井氏)」
これだけ見てもわかるように、いずれにも共通しているのは、建築物として見えてくる部分ではなく、むしろ音や空気、温度、関係性、情念、といった見えないものや不定形なもの、が挙げられていることである。
建築を撮るときは具体的なカタチを撮るが、そこにたたずんでいる空気のようなものを撮りたい、と新津保さんはいう。それはその空間に身を置いた人の記憶や考えによって異なっており、そこには「音」「空気の流れ」といった目には見えないいろいろなレイヤーが含まれている。そしてそれらを光というものに集約したいと考えている、という。また、「風景に入ってくる木漏れ日のような不定形なもの」にも興味があり、今回のプロジェクトでは、建築の表面にあたる刻々と変わる光の質感を捉えた写真をいくつか撮っている。 |
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| 密実なヴォイド |
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写真の発明により、はじめて建築は「見えるもの」になった、という多木さんの話から始まったこのレクチャー・シリーズは、第5回の最終回において、建築が「見えないもの」へと表現を拡げつつあることを実感した。そしてそれがいかに密実で魅力的であるかを、このシンポジウムを通じて認識することができたように思う。
密実、というと “密実なコンクリート”のように、通常、素材や物体自体の強固さや密度の濃さを表す言葉であろう。同様に、空気の層や音や光の質といったものがたくさん詰まっている空間は、それらの目に見えないけれど空間を豊かにするいろいろな要素によって相当な強度をもっているのではないか。そしてそのような建築は、空間というヴォイドが密実であると言えるのではないだろうか。
リスボン建築トリエンナーレのテーマ「アーバン・ヴォイド」のもと、「Architectural Tokyo in Photography」展において提示されたヴォイドとは、このような密実なヴォイドであったのではないかと思っている。 |