プログラムA:建築家はいかなる場所と空間を開きうるのか
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| ●イントロダクション |
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多木浩二(評論家)
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| ●「建築はいかに社会に潜在するものを実現しうるか」 |
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槇文彦(建築家、都市計画家)
・現代のグローバライゼーションと“ヘテロトピア”
・建築家が都市にできること
・“消費され尽くされない空間”を
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| ●「建築はいかに流動化しうるか」
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伊東豊雄(建築家)
・建築を考えること
・ディスニーランドが現代の都市と建築に示唆するもの
・二重性の中に引き裂かれた現代の建築・都市
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| ●「建築および文化についての仮説は果たして正しいか」 |
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山本理顕(建築家)
・都市という概念は対象化できるか
・システムという虚構の上につくられる建築
・ある“閉じた住宅地”の風景
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| ●セッション
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槇文彦、伊東豊雄、山本理顕、多木浩二、内田隆三
・緩やかな総体としての都市
・地域を越えたコミュニティの可能性
・建築家が社会に遺していく“空間の姿”
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プログラムB:世界化する都市の存在論
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| ●イントロダクション |
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内田隆三(東京大学教授、社会学者)
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| ●「人間がもちうる共同性とはなにを意味するのか」 |
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見田宗介(東京大学名誉教授、社会学者)
・流動化する共同性/社会性と建築/都市空間の意味
・解体されつくした共同性の後に残るもの
・極小の共同性と極大の共同性
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| ●「奇形化する都市と身体あるいは身体の存在論とは」 |
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鷲田清一(大阪大学教授、哲学者)
・現代のメディア社会における身体性の変化
・溶け合う自己と他者との境界
・現代皮膚感覚のパラドクス
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| ●「都市ははたして想像力の場所たりうるか」 |
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多木浩二【今福龍太に変わり】
・「ヨシフ・ブロツキー/レニングラード」の衝撃
・都市における想像力のあり方
・都市を捉える場所
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| ●セッション |
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見田宗介、鷲田清一、多木浩二、内田隆三
・不可能性を孕んでいるのが現代の都市
・身体の隙間、都市の隙間
・都市の不可能性を可能性の言語に置き換える
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プログラムC:「都市」という概念は生き延びるか
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| ●セッション |
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伊東豊雄、山本理顕、鷲田清一、多木浩二、内田隆三
・不自由な共同体と不自由な建築
・解体寸前の空間図式
・世界化される都市をどう捉えるか
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このシンポジウムの講演録は『TN Probe vol.8』として発行しています
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